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2006年4月号 「我が家の受験物語」

■卒業生は宝■

 この仕事をして、一番楽しいことは何か。もちろん子ども達の合格です。それ以外に、個人的に楽しみにしていることがあります。教え子たちの成長具合を見ることです。我が子のような気持ち、といったらご両親に怒られてしまうこともあるでしょうが、それに近いかも知れません。入塾したときは、あんなに子ども子どもしていたアイツが、受験を経てこんなに成長したのかぁ。そんなことを遠くから眺めることが、密かな楽しみなのです。だから教え子たちから来るeメールは、読んでいてウキウキしてしまうことが多い。近況報告してくれる教え子たちの、それぞれの道での活躍を聞くとワクワクしてしまいます。

 インターネットの発達により、ずいぶん多くの情報を御集めることが可能になりました。しかもクリックするだけで、瞬時に収集できます。しかし一番貴重な情報源といえば、なんといっても「体験者の話」です。経験談に勝るものはないでしょう。毎年春に行っている「入試報告会」というものがありますが、校舎によっては本帰国直前の卒業生を呼んで、直接彼らに話してもらうことがあります。これは貴重です。会場にいる在校生・在校生の保護者の方が、直接彼らに質問したりすることができるからです。勉強方法、志望校の決め方、今年の入試問題の傾向など、生の情報を入手することができるわけです。

 これに次ぐ情報源として、卒業生が書いてくれた「合格体験記」があります。しかし、これには「罠」が仕掛けられることもあります。進学先の学校や個人名も書いてありますから、信憑性は抜群に見えます。ところが塾によっては都合の良いように書き換えていたりすることがあります。こうしたことが頻繁にあるため、私はこれまで、卒業生からの手紙やeメールを直接情報源として使うことをあまりしませんでした。眉唾としてとられたくないですからね。

 ところが、今年は思わぬ手紙をもらったのです。嬉しくて、嬉しくて、あまりに嬉しくなったので、本人に許可を得て、この場で公開させて頂くことにしたのです。ちなみに誤字・脱字もあるでしょうけれど、彼の書いた「そのまま」を公開させてもらいました。これを読んで、彼の勉強方法に、アナタは何を感じるのでしょうか。  

■卒業生からの手紙■  

 梅が開花する和やかな季節になりました。先生はお元気にお過ごしでしょうか。僕は元気に過ごしております。

 さて、今年の1月から2月にかけて、入学試験が行われました。僕は、攻玉社中学校、巣鴨中学校、海城中学校、渋谷教育学園幕張中学校、そして、本命の開成中学校に合格することができました。このように、受験した中学校全てに合格できたのは、アメリカの水井先生と宇宿先生に固めていただいた基礎のお陰だと思います。

 僕が入塾した時の国語の偏差値が三十台、算数の偏差値が四十台と、危険な状態でした。日本語もきちんと書けずにいて、「ウナギ」を「ウメギ」と書いたと言って、今でも親にからかわれます。帰りに迎えに来てくれた両親も帰国後は次第に来なくなり、行き帰りの電車とバスで、沢山の本を読みました。本の中で、熱伝導の語があり、友達(K君)を銅の上に乗せて・・・という先生のたとえ話を思い出し、笑ったこともあります。ユーモアのある笑える授業を切磋琢磨しあえる友達と受けたことは、後にも先にもなかったです。

 又、ノートの交換もenaだけでした。どこをまちがえたのか、沢山まちがえたときは恥ずかしかったけど、直るまで見てくれて、ありがとうございました。そのことで、ぼくは間違い直しの時、何に間違うのか気を付けることもできました。ノートの使い方も、小さく図を書くと、すぐに成績が下がります。その時の習慣が大切で、くずすと「ほら、ね。」と、必ず悪い点を取り、母に、口元だけ笑った顔で「やめようね。」と、過去問を破いて捨てられそうになったというか、窓(六階)から放り投げられそうになりました、ぼくの方が背が大きいので、ブロックしましたが。本当に投げるつもりだったのでしょうか。

 最後に、時事をやっていた時、僕は何故「重大ニュース」を作ってくれるのかが分かりました。あれを始めた頃は、「ADSLはいいです。」と一文しか書けず、親がびっくりしてしまいました。良いことばかりでもなく、悪いことも起きたりしますが、たとえ、悪いことがあっても、「「くじけずに立ち向かうこと」や「努力すること」などを学びました。

 そして、enaでの基礎をしっかり固めた上で、応用力もつけることができ、最終的に開成中学校の合格に結びついたのだと思います。だから、enaなくして開成中学校の合格はなかったのだと思います。水井先生、本当にありがとうございました。

 梅の時期が過ぎ、道灌山の桜が満開の時期に、enaの先生方に対する感謝の念を抱きつつ、開成中学の門をくぐりたいと思います。そして、将来の夢に向かって、これからも努力していきたいと思います。

 水井先生もお体に気を付け、今後もがんばってください。  

■お母様からの手紙■

 暖かい春の陽射しが待ち遠しい今日この頃ですが、新学期のお忙しい時季に、突然お手紙をお出ししてしまい、申し訳ありません。三年前の今頃、息子が初めて「塾」というものに出会い、近くの黒板を遠い目で眺めている姿を思い出してしまい、思わずニコニコしています。きっと、新学期に入り生徒さん達が、心新たに(神妙な顔つきで?)元気に通っていらっしゃることと思います。

 最後までは在籍できなかったですし、勿論帰国後も、沢山の方々に支えてはいただきましたが、それでも「DC校が最初の塾だったから」という前提で、お世辞ではなく、DC校の先生方、お友達との出会いと別れを経験して、今の息子があることは確かだと思います。私達も実情を熟知された先生の言ってくださった「三年後に帰国するのであれば、しっかりと先を見ていくこと」という最初の一言だけが、唯一の信念でした。

 息子の手紙は、なかなか理想どおりには行かないこともあり、恥ずかしい部分もありますし、稚拙なところもありますが、本音で書きました。失礼などがありましたら、お許しください。入塾テストで現実を知り、受験勉強をしていく中で、私自身も子育ての甘さに気がつくところも、受験勉強の意味も発見できました。多少のアレンジはしましたが、本当に大切なことは、地味でシンプルだけど、しっかりやるということを、教えて戴けたような気がします。

 帰国後何度もいろいろなことを思いだし、「DC校のあれば、こういう意味があったんだね」という会話をしました。今回沢山のことを書けずに残念です。先生が子ども達に発信してくれる気構えだったり、選んだ教材からの意図を、感じる取ることができたのだと思います。

 「悔いのない受験」に向けて、やるだけのことはやって、落ちたとき・・・「この学校は努力家のキミを取らないなんて、損するね。さあ、前を見て帰るよ。」と言ってあげようと決めていました。三年間他の子も努力したのだから、いろいろ起きても、人生を前向きに捉えるように言葉を掛けてあげようと。陰で、発表の日は父親も他校の入学金の締め切り時間に間に合うようにスタンバイしていました。最悪の場合のシュミレーションに気合いが入ってしまい、合格者の持っていく受験票なんぞ失念していました。

 合格はおわりではなく、またスタートです。幸い受験で疲労しないDC校の気質が維持できていますので、また、前を向いて走り出せつと思います。走りながら、笑って振り返ることができるDC校に在籍できたことが、受験のなかで一番幸せなときだったことをお伝えして、感謝の気持ちに替えせていただきたいと思います。日陰の努力のお仕事で、ご苦労の連続だと思いますが、ありふれた結びになりますが、やはり究極の気持ちです。本当に御身体を大事にしてお過ごしください。お電話で済むことでしたが堅苦しくお感じにならないでください。読んでいただけるだけで幸いです。本当に、ありがとうございました。  

■塾を使いこなそう■

 どう感じたかは、ご家庭の価値観によって違うはずです。それは当然のことです。また、「ああ、この生徒には、この塾が合っていたんだな」と、冷静にお考えになるご家庭もあると思います。とても正しいことです。たまたま彼にとって、私達のやり方が合っていただけの話。だから逆のことも、当然、ありえる。そうでしょうね。

 ただ、是非、次の点について考えてみてください。

 『入塾試験成績は良くなかった』ということ。これは、彼が努力したという証です。元々優秀な生徒だったら、入塾試験でも相当の成績を残します。彼にはちょっと痛烈な、失礼な言い方ですが、彼は努力家だったということが分かります。現地校と日本の勉強を器用にこなす、要領の良い生徒では決してなかったと言うことです。

 彼は、愚痴をこぼす生徒ではありませんでした。ご家庭の方針だったのでしょうね。ポジティブシンキングという言葉が数年前に流行ましたが、まさに彼はそれでした。いつもニコニコ。頑張っている様子。文句タラタラというのは、見たことがありませんでした。周りの友達がブーブーいっていたときも、です。現地校が忙しいとか、勉強が大変だということは、他の生徒は口にしても、彼はしなかったような気がします。かといって、決して寡黙な人だったわけではありません。国語の授業では良く発言をしましたし、理科の授業でもよく質問をしました。アメリカナイズされた明るさとは違う、さわやかな青年像というか、はつらつとした姿勢が感じられたのでした。

 『ノートの交換』について。これは「復習ノート」のことです。彼が、このアイテムを「使いこなしていた」という点に注目されましたか?『直るまで見てくれて』ということで、それが分かりますね。そう。彼は、再提出をきちんとしていました。やりっ放しではありませんでした。宿題を提出する。マルバツを付けられて返される。もう一度やり直す。今度は青ペンでマルバツが付けられる。もう一度出す。今度は緑ペンで。私も覚えています。要するに、塾を使いこなしたということではないでしょうか。筆圧の強い彼の文字は、今でも覚えています。最初は縦書きも横書きもグチャグチャ。でも、それが徐々に直ってきて、整理され始めた。分数の計算なども、大きく書くようになってからミスが減った。自分でも何をしたのか分からない、変なミス、ということが無くなった。彼のノートを思い出すと、そんなことがあったと記憶しています。

 『小さく図を書くと、すぐに成績が下がります』という点にも注目です。贅沢にノートを使うことによって、そこに思考訓練の場を作っていたということなのだと思われます。勉強をしているフリをするのではなく、自分の「目」で確認することができた。確実さを常に求めた。そういうことではないでしょうか。線分図を書いて説明を残した彼。「ここまでは、できました」と線分図が書いてある。だから私は、それを使って続きを書き込み、、、という具合に復習ノート交換が続いたわけです。そうしたことによって勉強のきっかけを得ることができたということでしょう。赤ペンを入れる箇所も、後半では随分少なかったと記憶しています。もちろん、さぼったときもありましたから、そんなときはノートに「こらあ」と書いたこともありました。

 友達と切磋琢磨したこと。これも貴重です。海外という閉ざされた空間で、限られた仲間で、ともすると馴れ合いになる危険性もあったのに、良い友達に恵まれたということだと思います。とても貴重なことであり、かといって、誰もがいつでも得られるものではありません。ラッキーだったということです。

 『重大ニュース』も、入試必須の時事問題対策であったことに気が付いてくれました。(って、本当は表紙に書いてあるんですけどね)これも、大手の進学塾では市販されていて「買って、読んでおくこと」といわれるものです。日本に帰って、本格的な時事問題対策をした。これは、帰国枠がない中学を受験しようとお考えのご家庭には、要注意の言葉です。そう。日本の中学受験とは、こういうものです。時事問題もしっかり出るということです。背伸びができている子どもを、私立中学は欲しているわけです。決して「純粋な、オコチャマ」を欲しているわけではありません。現地校で貴重な体験をしても、それと引き替えに「退行」してしまった子ども達には、この背伸びはできません。それを知らずして、一般受験準備に子どもを放り込んでしまったら。。。子どもにとっては迷惑な話です。

 お母様からのお手紙の中にも、貴重な情報源がたくさんあります。「帰国するのであれば、先を見ていくこと」という言葉。これは私達が要所要所でお話ししていること。刹那主義で結局犠牲になっているのは子ども達ではないか、ということです。また「後悔のない受験を」というのは、何よりも大切なことです。どういう方法をとったとしても、それに対してどんな結果が出たとしても、最後に胸を張れたなら、それまでの時間が与えてくれた『何か』が残るはずです。「さあ、前を見て帰るよ。」というお母様の一言が、とてもとても『熱く』感じました。  

 彼は入り口のドアでは必ず「こんにちは」「ありがとうございました」と、こちらに顔を見せていました。風邪を引いて元気がないときなど、この態度ですぐに分かりました。お父さんやお母さんも、必ず私たちとアイコンタクトをとってくださいました。大丈夫です。ちょっとキツイです、などというように。国語の読解問題が得意だった彼。私は「おじいちゃんとか、おばあちゃんと暮らしていた?」と聞いたことがあります。そういうケースって、語彙が豊富だったり、生活体験が豊富だったりすることもあるからです。でも、ちがった。もともと感受性の強い生徒だったみたいです。それは意外なことで分かりました。帰国の挨拶の時、彼は号泣しました。(ごめん、ばらしちゃった)彼は、泣きながら「こういうの、弱いんですぅ」と声を上げながら泣いていました。ああ、この気持ちの優しさが、彼の読解力を向上させているんだなと、私は思ったのでした。  

 

 我が家の受験とは何でしょう?我が家の進学計画とは何でしょう?現在、例えば小1であっても、塾に行かせようとお考えになったのは、何をして、なのでしょう?何故塾だったのでしょう?家庭教師や補習校ではない理由は?家庭ではなく他人に任せようと決めた根拠は?「選択肢が少ないから」と後ろ向きになるのではなく、我が子のための最善の方法を模索されましたか?「とりあえず」「みんなが行くから」という程度のものでは子ども達がかわいそうです。勉強に対して後ろ向きになってしまうかもしれません。「選択肢が少ないのだから仕方がない」と開き直ったり、「じゃあどうすればいいのか」と逆ギレしても意味がありません。  

 塾は使うものであって、塾に使われてはいけないのです。主人公はあくまで子どもたち。そのことを忘れないでください。お父さんとお母さんは、脇役を固めてください。決して塾に振り回されてしまわないように。塾という大道具・小道具を使いこなしてください。彼のように、我が家の受験物語の主人公になっている生徒は、必ず、春に笑います。必ず。

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