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2012年04月号 「忍!」

 

■勉強って。。。

 勉強が楽しくて、好きで好きで仕方がないという子供たちは、いいんです。そりゃあ塾に通おうと、自分で勉強しようと、楽しいんだから問題発生しにくい。でも、多くの子供たちは「つらい」です。しかも海外にいれば二重苦。現地校では英語がわからなくてパニくっているし、日本の勉強は日本にいるライバルに差を付けられているし。ああ、どうしましょ。どうしたら良いんでしょ。モンモンとする日を送る子供たちもいます。

 ぶっちゃけ、受験勉強を中心に考えれば、普通の子供たちにとって勉強とは「忍耐」なわけです。受験屋の私たちなので、「勉強とは、良いことだぁ」とか「学ぶ楽しさを感じて欲しいぃ」とは、いいません。それは学校の役割。受験屋の視点では、副産物ですから。

 そんな視点から、今月は「どうしたら粘り強く勉強に取り組めるのか」ということを考えてみたいと思います。複雑な環境にある海外の子供たちが、日本の勉強に取り組むとき、何を考えるべきか。さて、はじまり、はじまり。  

■成績が上がる仕組み

 小学校の成績が絶対評価となって久しいです。ご家庭でも、特に海外における「お父さん先生・お母さん先生」であれば、絶対評価の視点をお持ちではないでしょうか。昨日より、今日は頑張ったね。前はできなかったのに、できるようになったね。そういう褒め方は悪いことではありません。ただ、それだけでは、入試においては当然負ける危険性があります。なにしろ、受験では相手が、ライバルがあるわけですから。

 そうなると、振り返ってみるならば、塾に通っていても成績が上がらなかったのは当たり前だと思えるふしがある、という子供たちも多いはずです。自分では頑張った。だから成績が上がるはずだ。こういう思考回路を持った子供が、近頃多すぎる。特に海外校舎では、多くみられる。「土日なんか8時間も勉強するんだよ!」という生徒。でも、模試を受験させれば偏差値50台がやっと。そんな生徒がいうんです。「100人中でいえば、1番は無理だけど、5番には入っているかなあ」って。いやいや。偏差値50って、平均ですから。45位から55位で偏差値50ですから。頑張ったこと「だけ」を評価して欲しいわけなんですね、この子供たちとしては。

 しかも、ご家庭にお聞きすることによると、瞬発力はあれど、持続力は無いとか。昔は「女の子はコツコツ勉強しますからね」なんていっていたものですが、最近はそうでもないとのこと。

 算数の文章題について。当初は適当に計算して答えを書く。これって、小2までは通用していたんですよね。文章なんてマトモに読まなくても、適当に足したり引いたりすれば、答えがでていた。お父さん先生・お母さん先生がいうので「適当な式」を書いていさえすれば、褒めてもらえた。でも、その勉強方法は小4からは全く通用しなくなっている。考える問題が中心だから。

 わかる問題はスラスラやる。でも少し躓くと「わかんない」とあきらめる。スラスラ解けないと不機嫌になり、親だからだとは思いますが、八つ当たり状態になったりする。わからないことが不満なのは、解きたいと思うからでしょうが、行動は伴っておらず、投げ出してしまう。海外ではよく見られる「退行現象」なのかもしれません。ただ、親としては、この状況はマズイとは思いますよね。  ねばり強く取り組むようになってほしい。さて、家庭学習において、こういう状況にあるのであれば、どのように進めていくのが良いのでしょうか。  

■まずは現状分析

 保護者会や説明会などでも必ずお話しすることですが、まずは「子供をよく見る」ことが何よりも重要ですよね。勉強に関してのみ言及するならば、では、どこまでわかっていて、どこからわかっていないのか。それが見極められたら、お父さん先生・お母さん先生であっても、対処方法は見えるはず。もし見えなかったら。。。enaにお任せください!(笑)いや、まじで。

 さてさて。たとえば「文章を読みながら確認していく」ということを経て、子供をよく見てみると、どうやら文章の意味はわかっているようだ、としましょう。そうなると、お父さん先生・お母さん先生からすると「何がわからないのかがよくわからない状態」になりがちですね。子供たちはわからないから不機嫌になる一方。さてさて、どうしましょうか。

 親からすると、見えているものが多い大人からすると、「考えれば、解けるハズ!」と思う。それだけに、もどかしい。

 でも、そう思って子供に言い続けてもほとんどの場合解決しなかったはずです。5万回言っても、子供に変化なし!!じゃあ、10万回言えば、変化があるか?きっとない!それはあらゆる子供に、あらゆる場面で、私たちもお父さん先生・お母さん先生も、言い続けてきたことなのですから。でも、それでは局面は打開できなかった。このことから、これからその道を進んでも良いことはありません。

 では、逆に考えましょう。

  『わからない文章問題を、自分から考えようとする子供なんているのだろうか?』  

 大事なのは、我が子を否定する方向に鉄の意志で力を注ぎ続けることではなく、「自分から考えようとする子供」が本当にいるのか?と違う面から考えてみるのです。親自身は、「自分と違うけど、どうして?」「兄弟で違うけど、どうして?」と、あたかも我が子だけに起こった症状のように捉えている場合がほとんどです。しかし全体で見たときには、実は大多数の家庭で出ている症状について悩んでいることが多いわけです。

 つまり、普通、ということです。しかし、皆さんは熱心さゆえに、「考えるようになれ!」「ミスをするな!」と呪文のように唱える。唱えても子供は踊らず!その状況では進歩はない。常に大多数の方が悩んでいる問題に糸口は見えず、見えないゆえにライバルからは引き離される。

 ここで言うライバルとは、子供のライバルではありません。「成績が良い子の親」という、お父さん先生・お母さん先生のライバルのことを指します。だから、悩んだ時は、親自身が思うのとは逆のイメージで考えてみる。「自分で考える子なんて、マジいるの!?」と。  

■実在する忍耐者

 私たちの経験上、「わからなくても自分で考えられる子供」というのは、ほんの一部の連中にすぎません。でも、確かに存在します。そんな子供たちに共通することは、「まだまだ」と何に対しても貪欲であるということです。

 「解けない問題はない!」と自信満々の子供たちはいます。そしてそのなかで、口先だけの子供たちが、先ほどの偏差値50であっても、「5番くらい?」と口にしてしまう子供です。

 私には自慢の生徒が何人もいます。宝物の卒業生が何人もいます。その中の一人をご紹介しましょう。たとえば「貪欲な子供」とは、こういう生徒です。

 算数が得意ではないお母さん先生が「どんな解き方でも、答えがでたら良いんじゃないの?」といった瞬間、子供の口から「もっと綺麗な解き方があるはずだ」と。親の方が叱られた、とのこと。そう、こういうことです。食いつき度が全く違うわけです。考えつくす、とでもいいましょうか。

 彼らの頭の中は、「どうなのよ。こんなかっこ悪い、効率の悪い解き方でいいのかよ!?」って感じです。自信がついた生徒とは、こういう状態の生徒のことだと私は思っています。こういうような自信がついて伸びてくると、「もうそれくらいで、次に行こうよ!」なんて言っても、「黙ってろ!」なんて言われかねない感じになってくるわけです。

 普通、周りの大人は、点数を上げてやりたいので、

  「自分で考えようとする」→「点数が上がる」  

 となればいいと考える。多くの親は、こういう理想のイメージを持っているのでしょう。でも、この流れで進む子供なんてごく少数派であることに気付けば、違う流れを考えることができます。たとえばそれは、

  「点数が上がる」→「自分で考えようとする」→「点数が上がる」  

 1つ前にもう1つステップを入れるわけですね。これを実現するために、たとえばお父さん先生・お母さん先生による「確認テスト」を実施すべきな訳です。enaでは、小1であっても模試を必須受験としているのは、ここにつなげるため。もっと極端な話ですが、文章問題以外の問題だけでも点数を上げることはできないか?と考えてみる方法だってあります。チラっと耳にした話ですが「悪い点数をとって、自信をなくしてしまったらかわいそうだから、模試は受けさせないわぁ」というのは、私たちの視点からは真逆である訳です。

 あまりに「自分で考えて解けるようにならないと!」という想いが強すぎると、子供とのバトルにもなりますし、結果として成果に結びつかない勉強になります。例えば、その問題は翌日にまわしてもよし。他の問題を優先して勉強するということです。できるはずという自信があると、子供は粘ってみたくなる。そうなるように力を注ぐほうが道としては楽だし、子供の新たな面も見えてくる。

 優れたテキストや問題集というのは、

  例題 → 基本問題 → 応用問題 → 発展問題 → チャレンジ問題  

 なんていうふうに細かい段階を踏んで進むようになっているんです。問題集に限らず、学校や塾の授業だってそうです。それは子供達に「きっとできるはず」という思いを持たせるためです。「全然考えません!」という場合、今進んでいるステップ、本当に正しいのか、もう一度子供を見てみましょう。  

■公文式の罠

 陰山式とか公文式とか、日本人って流行が好きですよね。あっという間に廃れますけど。。。個人的に、公文式学習法って、良かったと思います。ただし、一番はじめの公文公先生が確立された方法ですけどね。「わからなくなったら、わかるところまで戻って、そこからやり直す」ということ。公文式って、「小学生でも微分・積分ができるようになる!」なんて売り方をされてしまっていますが、本当の公文式は単に「できるところから始めましょう」ということだけのもの。それは、ここでいう「子供が飛び越えることができる高さまで、ハードルを下げる」ということと同じです。

 「算数は、公文をやっていたから大丈夫!」とおっしゃるお母さんがいらっしゃいます。計算だけは、自信があります!と。でもね。計算だけじゃ、入試突破は難しい。他の教科は、どうするの?算数だって、他の単元、どうするの?勉強に対する姿勢。そこが大事。忍耐であるはずの受験勉強に対して「美の追究」までしちゃう子供には、逆立ちしても勝てないでしょ。もしも公文式学習法で、早く答えを出す「だけ」が目的、のような子供を作り上げてしまったら、良いことなど一つもありません。  

■コーチはコーチ

 家庭学習は重要とお話ししてきました。でも、兄弟を「筑駒」に進学させたお母さんの話、「子供に教えたことはない」ということも、これまでの読み物でご紹介しました。大事なのは、自分で解けたと実感できるようにしてやること。ヒントを与えてもいい。30秒だけ模範解答を見せるなんていう裏技だってある。そんなことも、これまでの読み物でご紹介しました。

 どうして考えないのだろう?

 考えなさい!の方向とは違うことをいろいろ試してみること。また、「粘り強く考えられない」を悩む前に、「八つ当たりをする」ということに対して、注意が必要です。

 子供たちが八つ当たりするのは、親に限ったことではありません。学校や塾の先生にだって、八つ当たりする子供がいます。まあ、甘えといえばそうなんですが、注意が必要です。というのも、勉強に関して言えば、子供が誰かに八つ当たりをするようになると、その人との勉強では成果は出にくくなります。これは、子供に問題があるというより親、または先生側の問題です。子供たちに甘えさせるのも、親または先生の責任です。もし、どうしても八つ当たりをしてしまうようであれば、勉強のペアを解消すべきでしょう。夫婦で交代してもいいですし、誰か他の人に頼むのもいいでしょう。八つ当たりを放置したままで、粘り強く考えるというのは、無理があります。親子関係の場合、各ご家庭での方針もあるでしょうが、フランクな関係と八つ当たりしてくるのは別ものであるということです。先に書いた「子供が飛び越えることができる高さまで、ハードルを下げる」を考えてみてください。わかる問題のハードルをちょっと越えたら、すぐ高いハードルを出していないか?わかる問題だと親は思っているが、その問題は本当にわかっているのか?そこで、コーチであるはずの親が全部やってしまっているのではないか。

 さらに、実は「わかる問題」として処理している問題を実はわかっていない可能性もあります。本当にわかっていれば、類題はできるはずだし、問題を解くスピードも繰り返してやると、最初よりは相当はやくなるはずです。そこの部分の点検のために、テストは必要不可欠なものだと思うわけです。土日に一生懸命勉強したのであれば、そこで自己満足させるのではなく、勉強していた子供を見て親が満足するのではなく、その出来具合を「小テスト」してみてください。保護者会や説明会でお話しするのですが、勉強には3つのレベルがあります。1つ目は「わかる」というレベル。時間がかかる子供もいるし、時間がかかる単元もある。それでも、たいていの子供たちは、「わかる」というレベルには到達します。でも、次の「定着・覚える」というレベルには、個人差が大きく、満足するレベルに達するかどうかは、見極めが必要。そこにテストが登場です。欲を言えば、時間が経っても「覚えているかどうか」をチェックする必要もあります。何しろ、入試は「試験範囲が無い」「試験範囲は無限」ですからね。この対策のために塾では講習があるわけです。そして最後は、それらを使いこなして応用問題を解くというレベル。まあ、これは「忍耐」が快感に変わってしまった子供たちのことですので、まあ、最後の目標としておきましょうか。

 見えないライバルと戦う、しかも二重苦にあえぐ海外の子供たち。大変です。キツイです。でも、最後に笑うのは、いつの時代でも、どこでも、がんばり抜いた子供たちであること。適当では難関校には合格できていないのです。

 

 

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