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2008年8月号 「逃げるなっ!」

 

 夏です。暑いですね。夏休みも始まってから1ケ月が経って、それぞれに充実した(?!)毎日を送っている。。。はずですよね。まあ、受験生は当然として、非受験生の諸君は、どう過ごしているのかしら。。。

 アメリカの経済的に余裕のある家庭は、長い夏休みを「サマーキャンプ」なるものに子供達を入れます。スポーツ合宿であったり、音楽や芸術であったり。勉強合宿もあります。午前中だけのものもあったり、泊まり込みもあります。最近は日本でも似たようなものをやっているみたいですね。enaでも清里自然体験の合宿所があったりします。

 さて、長い休みには、日頃出来ない「振り返り」をすべきだとお話ししてきました。所詮入試は「何を、どのくらい知っていますか」「それを、どこまで使いこなせますか」ということを聞かれているわけで、その視点は日本の受験だろうが、アメリカの入試だろうが、変わらないものです。帰国枠受験でもね。

 そうすると、問題です。質問です。塾でも補習校でも、もちろん家庭学習でも良い。「時間内に理解することは問題なかったでしょうか?」ということです。

 例えば、制限時間が書いてある問題集があります。参考書についている練習問題。目次や背表紙に書かれている「学習の仕方」「このテキストの使い方」などを読んでみると、どうやら基準時間があるらしい。それらは守れているのでしょうか?特に国語など、「やっぱりドンドン忘れてきているから時間は倍かかるのよね」「日本の算数って問題文が分かりにくい日本語で書かれているから倍の時間がかかっちゃう」とお嘆きかしら?

 こうなると、一人では宿題もできませんね。お母さんに、横に座ってもらう。分からない言葉は「動く辞書」であるお母さんに聞く。ついでに問題のやり方も聞く。更についでに式があっているか、聞く。更に更に答えはどうなるのか、聞く。最後の最後で、言われたとおりの答えを書いていう台詞は。。。

 「なーんだ、簡単ジャン!!」。。。あはは。コメント省略。

 その後、多少ミスはすれど、なんとか一人で出来るということであれば、思考訓練に対しての「逃げ」が見られるということ。もっと簡単に言えば、誰かに対しての「依存症」になっているということです。何もお母さん先生に対してのみ依存症があるわけではありません。塾に対しての依存症もあります。

 まずはチェック項目です。補習校でも、現地校でも、塾でも良いです。帰ってきたときに「今日の目玉商品」を持って帰ってきていますか?「今日、何を勉強したの?」という問いに対して、「こんなこと、やったんだよ」ということはもちろんのこと、一番印象に残った「でね、こんなのがあるんだって!!!」という『本日の目玉商品』を持ち帰っていれば、「学舎で学び取ったものがあった」といえるでしょう。ニタっと引きつりながら笑って「うん。面白かった」とだけ、具体的な内容のかけらもないのであれば問題。アメリカに来たての頃の、毎日が苦痛だった頃の、そこに存在しているのかも不安になるほどの、あの日々をまだ続けている可能性があるわけです。その環境下で構ってもらえる相手がいれば、そりゃあ依存症にもなりますって。

 そうではなく、多忙を極める場合。兎に角、答えを書いておかないと色々問題が発生すると自覚が出来ている子供の場合。例えば、解答丸写しの子供なんて、一番良い例です。聞けば分単位でお稽古ごと。兎に角時間がない。考える時間がない。じっくり練習する時間もない。極端な場合、お母さんから「あとでお母さんが教えるから、とりあえず答えを書いておきなさい!」といわれる。本末転倒。

 塾や補習校の授業が難しすぎる場合もありますね。授業が速くて、授業中に「ああ、そうかあ」と理解することは到底できないという場合。特にアメリカ生活が長く、日本式の勉強体験はゼロに等しい子供がいきなり始めた場合。よく見られます。いままでの積み重ねがないから、家での勉強に時間がかかる。突然、中学受験を考えたご家庭には多い悩みです。日本国内でも、今は集団指導の大手塾であっても個別指導の別会社の塾を持つ(ダブルスクール)のが珍しくはなくなりました。家庭教師も併用するご家庭も多く見られます。中学受験において、塾と個別指導(又は家庭教師)を併用しているご家庭は、首都圏で既に20%にもなるというデータもあります。昔に比べて、塾などを使って先取り・深度の深い勉強をすることが珍しくない時代になったわけです。例えば中学受験は、かつては限られた上位成績者層だけがしていたのが、今は皆がするようになった結果からかもしれません。地方でも、あっというまに教育事情が変わっているものだ、とこの読み物でも何度も警告してきました。それに帰国枠受験に対しての「妄想」「無責任な噂」そして現地校という言葉の響きで、所詮公立教育なのに高尚な経験をしていると思いこみたい親心。そして、結果は犠牲者になった子供達。

 これまた以前にもお話ししましたが、ずっとずっと昔から「小4までの勉強」と「小5からの勉強」には厚い壁が存在するとお話ししてきました。小学生と中学生でもまるきり違うとお話ししてきました。4年生の間はこの状態でも維持できたとしても、5年になって量が増えレベルが上がれば、大丈夫かしら?と思う。

 では、「大丈夫かしら?」と親が不安になったら、まずどうしたら良いのか。

 漠然とした不安は意味ががありません。取り越し苦労かも知れない。噂に翻弄されているだけかも知れません。よって、まず第一に行動すべき事は、「子供の客観的な学力を冷静に見ること」です。アメリカで進学していくのであれば、アメリカのアチーブメントテストで理解度が把握できるでしょう。英語の力を客観的に見たいなら、TOEFLでも良い。受験してみれば良いのです。客観的なものではなく、チューターの先生や現地校の先生に聞いても、それは「主観」でしかありませんので、中心軸にはすべきではない。日本の学力を見たいなら、日本のテストを利用すべき。補習校の成績表や小テストの結果など、所詮『絶対評価』であり、子供の実力把握には役立たずです。enaのチャレンジテストや大手学習塾の模擬試験を受験させてみてください。各地方で有名模試が存在するはずです。その成績で「我が子は出来る・出来ない」を判断しましょう。

 次は進路設計です。日本の学校に進学するのか。アメリカの学校に進むのか。それによって準備はまるきり違います。優先順位は全く違います。それを理解してください。子供達に無駄な負担をかけないでください。親の見栄で、勝手な思いこみで、負担を増やす。結果、多くの子供が何かしらの傷を背負っています。

 この2つで、現在の対処方法の「どこ」に問題があるのかが見えるはずです。どう対処していくのかの基本的な態度とでもいいましょうか。それには2つの選択があります。1つ目は『今のままでいくか?それとも変えるか?』ですね。どちらかを決めないといけません。問題が発生すれば「何かを変える」というのは基本です。変えずにダラダラとしてしまうご家庭が多い。これは「海外にいると選択肢が無いんです。変えたくても変えられないんです。」という声が代表的でしょうか。でも、それは単なる「怠慢」です。実は選択肢はあります。ふるいを雑にしているから、そうなるのです。最初から選択肢を捨てているからです。さて、それでも選択肢がない場合。例えば日本国内だって、現状のレベルより上の学校を目指す場合など、塾の選択の余地が無いということもあります。そんなときは、なんとしても塾のカリキュラムについていく必要があります。我が子の実力を考え、進路を見据えた結果、理解するのに時間がかかっても「現状維持」という選択をするしかないという場合もあり得ます。これは決して怠慢ではないし、後ろ向きな解決策でもありません。こうなると、いかに時間を作るかの戦いになってきます。受験生なら、仕方がないことでもあります。事の是非は別として、親が子供の宿題をやるということ。現地校の宿題でも、時間がかかるだけの、学問とはいえないもの(例えば棒グラフの色塗りとか)については、親が替わりにやって、物理的な勉強時間を確保する。そのあたりは、どうでしょう?時間的にも、体力的にも可能なのでしょうか?可能であれば、現状維持の選択も「あり」となります。ただ5年生でキツキツであれば、6年になってからを考えると、やはり変える必要があるとなるかもしれません。時間的にも体力的にも「無理」と判断すれば、「変える」を選ばざるを得ないのです。もし、変えるべきとなれば、2つめの選択へと進みます。変えるとなると、次の3つのうちの、1つを変えなければなりません。「塾や補習校などの補助教育機関」「塾や補習校・家庭教師などの、担当の先生」「子供本人」の3つです。

 塾や補習校でやっている内容が、我が家の進路設計にあっているのか。難易度そのものに無理がある可能性は無いのか。複数のクラス・コースがあるのなら、クラスの変更もしくは、塾や補習校を変えることを検討すべきです。考えていただきたいことは、いかに上位のクラスに在籍しようが、「宿題など自力で1問も出来ず」では、塾に行く意味が無いということ。依存症の程度に寄りますが、あまりいもヒドイ状態なら、当然中止すべきです。誰のための塾なのか。親のための塾になっているからです。そんな依存症になっているくらいなら、塾や補習校に行かないで、初めから家で市販の教材・大使館で配布された日本の学校の教科書または現地校の教材で勉強したほうが、効率的なはずです。

 ただ、注意して欲しいのは、この言葉の本当の意味。。。

 「なーんだ、簡単ジャン!!」について、です。

 塾や補習校、現地校では真面目に聞いているはずのに、家では1問も解けず、親が説明したら、「簡単ジャン!」という。これはお母さん先生の方が塾の先生よりも指導力は上かもしれません。指導力というのは、教えるだけの力ではないのです。私の経験上、塾の講師に必要なのは、勉強を教える「知識」だけではなく、生徒達をまとめる「統率力」も必要です。それは海外校舎のように、1クラスがたった2人であっても、大切なことだと思うのです。ビシッと背筋を伸ばして生徒たちが聞いていれば、教え方がそこそこでも、みんな理解します。先生に原因があると判断すれば、クラスを変えたり、違う補助教育機関へ塾変えなどを検討すべきです。現地校に対しても、クレームは出せますよ。特に私立は、そのために高い授業料を払っているのですから。充実した教育が受けられないのなら、契約不履行です。公立校に対しては出来ませんが、補習校を含め、私学は「サービス業」なのですから。日本国内では、家の近くに同じ系列の塾はあるけど、家から遠い塾に通っている「成績が良い子」は意外と多いものです。塾の看板に惹かれているのではなく、その校舎にいる「先生」を選んで通っているわけです。公立の先生は異動がある。3年もすれば、校舎はあれど、先生に知っている人はいない。私学は何十年も、当時の担任がいたりする。海外の塾も同じ。塾に魅せられるのではなく、そこにいる職員に魅せられるべきです。 

 さて、最後の候補は、やはり「子供本人」。ここで注意するのは、上記からもわかるように、子供の能力的な問題では無いということです。頭が悪いから、出来が悪いから、ということでは無いのです。では、能力ではなく、何が問題なのか?それは、『塾で授業に取り組む「姿勢」』を考えてみるべきです。真面目に聞いてるといっても、それは無駄なのです。理解しようとの意欲まではないからです。これが、「姿勢」というものです。試しにノートを見てください。字の汚さより、何かを覚えよう・なるほどなあという思考の形跡があるかどうか。計算メモだけのノート。しろというからしました、っていう板書を写しただけのノート。ノートに書いて、その後一度も開かれた形跡のないページ。こういう「姿勢」の生徒って、実は意外と多いのです。日本国内でも、海外校舎でも。たいてい、こういう生徒は「お客さん」となります。塾を使いこなしているとは言えない。だから授業料の無駄遣い。

 「今日の何の単元習った?」って聞いてみる。「今日は理科で天体を習ったよ。金星の満ち欠けなんかをやったよ。金星の見え方って変わるんだねえ!」なんて、明確に習った単元を言えるなら合格。「まあまあ!」なんて答え方をしたら駄目。「まあまあって、どうまあまあだったの?」「まあまあって言ったら、まあまあなんだよーー!」なんて返ってくるようなら、ヤバイです。

 「理解しようとの意欲」=「姿勢」がない原因として考えられることは何でしょうか?よくあるのは、これまで書きました「依存症」、つまり『親を頼りにし過ぎている』ということ。海外生には非常によく見られます。親が一番。うちの親は偉いから!と豪語している子供達。親以外の大人を見下す習慣が身に付いている子供達。教育熱心なご両親がいらっしゃるために、かえって「どうせ家でやるし!」という気持ちを持ってしまい、塾で片付けて帰ろうなどという発想にはなれません。家でやった方がより理解できる!ということになっても、厳しい。親が頑張れば頑張るほど、それをあてにして塾での時間を無駄に使ってしまうわけです。こんなときは、どうするか?突き放すべきです。中学受験にしろ、高校受験にしろ、小5までに自学自習の習慣を身につけたいというのであれば、甘えさせないこと。逃げさせないことです。塾に居残りや塾の授業のない日に塾に連れて行き、塾の宿題や練習問題は解決してくるといった「ノルマ」を課す。そうすることで、「だったら、授業中に理解していないと自習・自学ができない」と「姿勢」が変わります。enaは授業がない日でも自習・質問が可能なようになっていますね。上手に塾を利用すること。これが何よりも大切。特に下にお子さんがいらっしゃる場合など、家庭学習が上手くいくとは限りません。子供が萎縮してしまうような厳しすぎるお父さん先生が登場するのも時として問題。そうした選択肢を現状に照らし合わせて、組み合わせること。やっぱりお母さん先生の最も大切な仕事は「コーチング」「司令塔」である、ということなのです。こういうことをしておかないと、どっかの誰かさんみたいに、授業中に寝てしまう、しかも成績はふるわない、宿題は忘れて同級生にも見下されるという、究極の犠牲者を作り出してしまいます。これは、渡米当初からの、親子共々、間違った方向に進んでしまったために起こったミス。今の時代、求めれば得られるはずの情報を無視してしまった事によるもの。学年が上がってしまったら、どんな手を打とうと「治療不可」です。もう本人が開眼する以外に、打つ手はありません。

 だから、もし、今から子供を突き放そうと考えるのであれば、外堀を埋めて、手を打って、突き放すのです。後悔しない進学とは、計算された設計図の上に成り立つものです。刹那主義の結果、偶然にやってくる「ご褒美」ではありません。有名難関校に合格しているご家庭は、皆、努力されているということです。

 子供達に「逃げる習慣」を与えてはイケマセン。逃がしては、これから一生、ずっと逃げるようになります。立ち向かっていくこと。それを教えていかなければ、先人としての役割を果たしたことにはなりません。周りにいる大人は、胸を張りましょう。「海外に連れてきてしまったのだから」と負い目を感じてはいけません。感じるのであれば、尚更責任を果たしましょう。優しいだけではなく、時には厳しい目をもって、子供の将来を見つめるべきです。「現地校が忙しいから」という言葉を口にしてしまう子供を作ってはいけないのです。「現地校では、そんなこと言わない」という姿勢の子供を作りだしてはいけないのです。

 逃げるなっ!と、子供達に言いましょうよ。

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