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2006年7月号 「保護者面談の声から」その2

■その2■

 先月に引き続き、保護者面談をさせて頂いたときに感じたこと・考えたことを綴っていこうと思います。それでは、早速。。。  

■兄弟を比べるのはダメなことなのか?■

 かつて読み物で「本当にきちんとしたご家庭かは、兄弟二人とも優秀か否かで判断できる」と書きました。一人だけが優秀である場合は、たまたま伸びた子どもの才能による場合が多いと書きました。ご家庭での指導方法が優秀ではなかったと断言できるとも書きました。例えば、次のような家庭を想像してみてください。『下の子は小学校のころから勉強好き。そのため「勉強しなさい!」などと言ったことはない。中学になった今も学校ではトップクラスの成績。しかし、上の子は下の子とまったく違うタイプ。勉強嫌いで、「勉強しなさい!」と言っても聞きやしない。成績も振るわない。』こういうご家庭です。

 兄弟のうち一人だけが優秀というご家庭は、子供の成績を上げるノウハウを持っていないのです。単に子供の出来具合に任せっきり。出たとこ勝負。だから保護者面談で「お家ではどんなことさせていますか?」と尋ねても、「別に。。。」となってしまいがちです。では「成績が良い子の親」であると、どんな返答があるのでしょうか。保護者面談をさせて頂いても、たいていは「いや〜、これといって何もさせてないのですが・・・」といわれます。不思議ですね。同じ返答なのに、子ども達には大きな違いがあるわけです。

 「親は何もして無い。やっぱり、本人の能力で決まっている!」と諦めモードになりがちですが、そこはグッとおさえてください。何度も言っていますが、子供自らが自覚して勉強する。こういう子も確かにいます。しかし、イマイチの子どもに、そんな奇跡を期待してもしょうがありません。

 先ほどの家庭では、何がどう行われているのか。保護社会でのお話から要すが見えてきました。たいていの場合、成績がふるわない兄はなかなかキッカケを掴むことが難しい状態にいます。実は、そのことで苦しんでいることもあります。特に海外でよく見られるエリート街道を歩かれてきたお父さん・お母さんがプレッシャーになり、さらには身近な存在の弟が成績優秀では、お兄ちゃんは追い込まれているようなものなのです。悪い緊張状態が続けば、頑張ることを諦めてしまうことだってあります。そのような環境で、親の口ぐせは「同じ親から生まれたといえ、兄弟で違うものですね」の一言。保護者面談でよく聞くフレーズです。お母さんからすれば、「世の中そんなにうまくはいかないわ」程度のつもりでしょうが、私たちからすればお子さんが心配でなりません。きっと、家ではこうです。

 「少しは弟を見習いなさい!」「弟は出来るのに、なんでアンタはできないの?」「お兄ちゃんのくせに、あんたはまったく、もう。。。」

 はじめは黙って聞いている弟だって、学年が上がるにつれて反撃を始めます。「俺は、弟は違う!」こうなったら、頑張ることを諦めてオシマイ。もうお気づきですね。そう、兄弟同士を比べるのは、絶対ダメです。この点については、みなさんがご存じの、そして、よく言われている教育学上の常識です。

 では、成績が良い子の家庭ではどうなっているのか?実は、私たちも驚きました。というのも、成績が良い子の家庭では、「兄弟同士の成績を比べている」のです。どういうことでしょうか?

 まず成績が良い子の家庭の多くは、兄弟同士の成績がガラス張りです。つまり、兄弟姉妹同士の成績をお互いがすべて知っているのです。上が中学生、下が小学生というように年齢差があってもです。うちも点数ぐらいはお互い知ってるっておっしゃいますか?いえいえ、そんなものではありません。各教科の点数、偏差値、順位、合格判定まで、次回のテスト日程まで知っていたりする。ここまで知っているのは、もちろん親が公開しているからです。

 兄弟姉妹全員が成績優秀であっても、当然成績には微妙な違いがあります。兄弟で偏差値も順位もマチマチです。そして、成績を公開すれば、当然のごとく、兄弟同士、比べることになります。「兄弟同士を比べるのは、絶対ダメ!」という常識はどこにいったのでしょうか?私たちは兄弟の両方を指導することがあるのですが、おもしろいことに、「成績優秀な兄弟の場合は、兄弟お互いが、比べられることを嫌がってない」ことが感じられます。それどころか、良き競争相手になっています。なぜそんなことが起こるのか?成績が良い兄弟同士だから、嫌がらないのか?そうではありません。ここに皆さんにも真似ができるヒントがあります。よく考えて我が家流に書き換えてみてください。

 成績が良い子の親が比べているのは、テストの点も、偏差値でも、順位でもありません。比べているのは、「前回のテストよりどれだけ上がったか?」です。世に言う「絶対評価」です。成績の良い兄弟の場合、「前回のテストとの差」を比べているのです。そうなれば、兄弟姉妹同士のもともとの成績の差なども関係ありません。前回からのどれだけ良くなったかが、評価されるわけです。今回頑張ったなら、次回はそれ以上頑張らなければ、負けてしまいます。だから、もっともっと頑張るわけです。家にいる競争相手を意識しながら、です。成績を下げることは許されません。成績が乱高下していたら、継続的な努力をしていないからだと見下されるわけです。常に上昇していなければなりません。こういう使い方をするならば、「兄弟同士を比べるのは、やり方次第」ということになります。そして、この比較するやり方がご家庭で当たり前の、ごく自然な風潮になったとき、「お互いが、比べられることを嫌がらず、良き競争相手になる」という現象が起こってくるのです。この風潮を作り、はぐくむ家庭こそが「成績が良い子の家庭」と言えます。

 ローマは1日にして成らず。努力なしに、「子供の能力が・・・」としないことです。  

 

■勉強もバイオリンもやらされている?■

 ある保護者の方のお話。。。

 「昨夜、子どもと話をしていると、『ぼくは、勉強もバイオリンもやらされているんだ』と言うのです。確かに、やらされていることは事実だと思います。でも、「やらされている」という表現が気になります。バイオリンは、本人が「やってみたい」というので、4才8ヶ月ごろから始めて現在まで続けさせています。お稽古や公文に行く日を除いて、毎日15分〜20分の練習をします。普段の生活は、現地校から帰ってきてから、まず、友達と5時頃前までしっかり遊びます。それから、現地校の宿題と公文(国語と算数を各5枚)の勉強(宿題)をします。enaの勉強は週末にまとめてやることが多いですが、現地校の宿題が少ない日は、可能な限りやるようにしています。親の私も、彼の宿題を見るようにしています。私は斜め後ろのテーブルに座って自分の用事をしながら待機しています。漢字1ページと計算の宿題を彼が見てくれ、聞いてくれと差し出すと、それを見てあげます。それから、音読シートをちょっとやります。詰まる箇所が多いと「もう一回言って」となるのですが、このもう一回を非常に嫌がります。公文は学年相当レベルを進行中でそんなに無理難題をしているようには思えません。本人も公文は頑張ると言っています。私自身は、なんでもやりたがりな子どもでしたので、小学生の頃は勉強も別に苦ではなく遊びの延長のようにしていた記憶があります。それでも、漢字の練習がときに面倒だと感じることは確かにあったと記憶しています。でも、やらないといけないこと、当然のことという感じで「やらされている」という感覚はなかったように記憶しています。私と違って、息子は、なぜもっと前向きに意欲的な気持ちで取り組めないのでしょうか?そして、そう仕向けていくのに、私は子どもとどう関わっていくべきなのか?どうなんでしょうか。」

 「ぼくは、勉強もヴァイオリンもやらされているんだ。」海外では右も左も分からない環境に放り出されることになるので、親のいうことは絶対となりがちです。自分の選択肢は、実は少なかったりします。例え苦行であっても、慣れてくると海外生活の面白さに気づき、そして生活に余裕が生まれます。そこで「やりたいからやっているのではない」という言い方をする子どもが出てくるわけです。海外にだって「来たくて来たワケじゃない」という子どもも出てきます。

 ここで問題なのは、子ども自身は意欲的な気持ちで取り組めていないのか?ということです。こんな発言をする子どもですから、意欲的に取り組めてないと判断すべきだろうと考える人は多いでしょう。でも、「これも、子供の習性ではないか」と考えてみたらどうでしょうか。反抗期ともなれば、子どもは親の意に反することをすることもあります。私たちが生徒指導するときも、同じようなことが起きます。少し極端な例ですが、私は「受験は戦いなんだから、合格しなければ意味がない!」などと受験生を挑発します。もちろん、このように言うことでモチベーションを上がると見込んだ生徒やクラスに対してだけです。その結果、「よ〜し、やったるぞー!」と、子供はノリノリで勉強をすることがあります。ところが時折、「オレ、別に、負けてもいいし」と斜に構える生徒も見かけます。普段は「よっしゃあ」といっていた生徒が突然いうこともあります。いつもはあんなに威勢が良いのに、今日に限って何故?!と思うことがあります。まだ私が若かりし頃、思い悩んでベテランのO先生に聞いてみたことがあります。『ねえ、俺の指導方法、間違っているのかしら?』そのときのO先生の返答は、『その生徒は、他の先生には言わないと思うで!』『それって、やっぱり、俺の指導が下手ということ?』『いやいや、いつも言うことの逆を言ってみたくなるだけなんよ!』

 つまり、私以外の先生は「受験は戦いなんだから、勝たなきゃいかん!」などということは、あまり言わない先生だったのです。だから、生徒も「よ〜し、やったるぞー!」などと言わない。ということは斜に構えることもあり得ないから「別に、負けてもいいし」なんて発言もしない。そういう状況自体が起こり得ないわけです。そうすると、子供はわざと大人が望まない「発言」を選んでしているということになります。O先生は続けます。『反対のことを言ってみたくなるのも、子供の習性よ!』『では、そんなときどう対応したらいいの?』『まともに相手にせんことよ!』

 嫌がることを知って言ってるわけですから、どうしてそんなこと言うの?などと反論しても意味ありません。そんなときは、適当に聞き流すことが良いというわけです。そうすれば、また「よ〜し、やったるぞー!」とノリノリの状態に戻ります。このお子さんの場合も、「本人も公文はがんばるよとたまに言っています。」とありますから、同じように考えたら良いのではないでしょうか?

 ノリノリ発言があっての後ろ向き発言ですから、まともに相手にせず、適当に聞き流す。これがノリノリ発言なしでの後ろ向き発言連発なら、親の接し方を根本的に見直す必要があります。精神的に参りかけている場合の黄色信号は、チック症や無気力無関心症などを併発することが常ですから、見破ることは容易であるはずです。その場合は、適切な処置をしないと『手遅れ』になることもあります。

 「公文はがんばるよ!」などのノリノリ発言の回数が多くなるようにすることを心掛け、子供の習性でもある「いつも言うことの逆を言ってみたくなる」を知っていれば、余計な心配はしなくてもすみます。

 つまり、子どもの成績を伸ばすためには、まず、子どもの様子を見極めること。そういうことです。  

 

■1問に5日もかかってしまいます?■

 再び面談でのお話から。。。

 「うちの子供の最大の問題点は、テストなどの時に、同じ類の問題を何度も間違えることです。同じ類の問題、というのは、主に文章題です。特に最悪なのは、つるかめ算をはじめとするような文章題です。テストが返ってきて、直後にテスト直しをするのですが、また次のテストで間違えてしまい、点数が取れません。これは、解説を聞いた時には分かったような気がしているだけで、理解して自分のものになってはいないのだと思いました。そこで、家庭で塾の宿題とは別に文章題を解く時間を作り、補強することにしました。順としては塾で習ってきた解き方を授業ノートを参考に復習し、その解き方をノートを見ながら私に教えるという方法にしました。そして実際に問題を解き、解けたら次の問題へ進むということにしました。塾から帰って、子供は確かに先生に説明してもらったと言いますが、私に説明することができません。つまり解き方を理解していません。ノートもきちんと書いてあるのですが、この数字が何だったのか、記憶が曖昧だったりします。復習ノートとは違い人に見せるノートではないためか、書かれている文字もひどい状態のものが多い気がします。目玉商品マークばっかり綺麗に書いています。 enaの入塾案内や読み物を見てみると<親は子どもを管理するだけにし、勉強を教えるべきではない>とありますが、ここで教えなければ、次に塾に行くまでの時間、タイムロスになると思い、つい解説することになります。とりあえずその日はなんとかその問題を解いて終了となります。そして、次の日。また同じ問題を解かせるわけですが、子供はきれいさっぱりと忘れています。仕方がないので、またヒントを出したりしながら、その問題を解かせます。そしてまた次の日。またまた同じ問題を解かせるわけですが、またまたまた解けないのです。結局、ひとつの同じ問題を自分で解けるようになるまで、たいてい5日もかかります。たった1問に5日もかかったことに、正直、先が思いやられます。これで中学受験など、出来るのでしょうか?帰国枠入試問題がいかに簡単な問題が多いといっても、この様子では時間内に解ききれないと思います。事実、毎月の学判では、最後の問題まで手を付けられていません。子供も頑張っているのですが、二人で迷路に迷い込んでいるような気がします。違うタイプの問題がでてくればまた、分からないと言い、同じことの繰り返し。文章問題のタイプは限りなくあると思うと本当に不安になります。<中学受験にはセンスが必要>というような噂に、つい惑われてしまいそうになるほど、参っている今日この頃です。はぁー。。。」  

 面談では多かれ少なかれ、このような「やってもやってもダメ」というような声も聞かれます。まず、上記の面談でのお話をじっくり読み直してみてください。この中にいくつもの問題が混在しています。それを全て分析していたら、この狭いスペースには収まりきれないわけで、問題を解決するための前提になる部分だけを取り上げて考えてみることにします。そこから各ご家庭での解答を考えてみるようにしてください。  

 まず、中学受験にセンスが必要か?答えはYES。センスがあった方が良いです。逆にセンスがなければダメか?と問われれば、NO。確かにセンスのない子供は、センスある子と比べれば、勉強量が必要になるでしょう。でも、それなら『長時間勉強できる持久力さえつければ良い』だけの話です。また、無駄を失くしたり、親が協力することで、時間を変えることなく対抗する手だってあります。(質の向上という意味です)

 「1問に5日もかかったことに、正直、先が思いやられます。」とあります。親が協力しても、1問をマスターするのに5日もかかる事実。これをどうするか?この対処法には、指導する側のテクニックでいえば、いろいろな方法があります。しかし、こうして悩むご家庭に、今必要なのは、テクニックではなく発想の転換だと思います。それは、「5日でやっていることを1日ですること」です。無謀ですか?世間でいう徐々に、ということであれば、大変な労力であると想像できます。そうではありません。いきなり5日から1日にするのです。もし、1日1時間の勉強をしていたとするなら、「1時間×5日間=5時間」をトータルで費やしたことになります。もしかしたら、実際はもっとかかっているかもしれない。それを1日でやるとなれば、単純に「5時間の勉強」が必要という計算になります。だったら、週末にでも5時間通しで勉強させてみてください。そうすると気がつくはずです。不思議なことに、5時間はかからずにマスターできることが多いのです。これは、実際に実践した人にしか、わからないことです。まずそれをやってみてほしいと思います。そして、それをやってみて、確かに2時間かからなかった!そうなのか!と親が体感します。それが現実に目の前で起これば、お子さんはどう感じるかも想像してみて下さい。これは、子どもの持っているマジックです。ただし「のんべんだらりん」はダメです。集中してぶっ通しです。相当に疲れるはずです。

 ぶっ通し勉強を味わった後、そこから塾での質問の仕方の問題、親が教えないやり方の問題などいくつかの技術的なアプローチについて考えたらいいでしょう。それらについては、これまでのバックナンバーにもヒントはあります。また、「未体験ゾーン」を経験し終わった生徒であれば、吸収力は相当上がっていますから、何でもOKの状態に近づいているはずです。がんばりましょう。

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