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2007年5月号 「必死じゃないといけないのか」

 

難関校は必死でないと合格できないか  

 毎年5月頃になると巣立っていった生徒達から近況報告があります。「古典がやばいよー!」「英語の授業は楽勝で、いつも居眠りだ」などなど。保護者の方からも頂くことがあります。中にはご相談頂くこともあります。ご帰国されたというのに私たちを頼ってくださるなんて、本当にありがたく感じてしまいます。今回は、何件かのご家庭から頂いたメールを1つにして、「必死になること」について考えてみました。    

 

 DC在中にはお世話になりました。受験が終わり振り返ってみると色々反省すべき点があり、この経験を下の子供の受験に生かしていこうと考える今日この頃です。上の子供は、結局、第一志望に合格することはできず、第二志望校に進学することになりました。  

 今、振り返ってみますと、第一志望校に合格させるには、親としての認識が甘かったのではないかと反省しています。第一志望校は難関校でしたから、例え模擬試験の成績が良くても、本番では何が起きるか分からない受験であったはずです。それを早い時期に意識するべきでした。DC在中の「日本へのソフトランディングのために」塾に通わせたことは、間違っていました。難関校合格のために、親は早い時期から子供に学習習慣を身につけさせるべきでした。その意識を、まず、親が持つべきでした。家族が一丸となって、という意気込みが無いと最後ののびが鈍くなると言うことも、初めての子供の受験を経験して、ようやっと理解できました。世間には余り出回らないものですが、「こういうことはしてはいけない」という失敗談は、失敗学は、本当でした。受験生の親としての自覚がないと、「合格」は勝ち取れないのだということが、受験を終えてようやくわかりました。

 私は一貫して「子供に無理はさせたくない」と思ってきました。第一志望校は地域の学校の中でナンバー・ワンというステータスだけでなく、学校説明会で話を聞いていても、確かに魅力のある学校でした。「心の教育に重きをおいていますから、子供を鍛え上げて東大へ入れて欲しいとお望みのご家庭に、本校は合わないと存じます」。校長先生が説明会でそう仰ったこと。これを聞けば、ここなら安心して子供を預けられると、誰もが思うでしょう。子供が受験勉強に本格的に取り組むようになったきっかけも、「この学校に入りたい!」と思ったのも、学校説明会で、素晴らしいお話を伺ったからでした。

 しかし、実際は、違いました。ズバ抜けた成績の子が集まるので、入学後も子供たちの間からは競争意識が抜けず、進学指導のない学校に勉強面では頼れないと、放課後は足早に塾へ向かう生徒が多いこと。(中1から塾代がかかるのは必至とのことです)不登校になったり、学校を辞める成績不振者が毎年、数名は必ずいるということ。校内で自殺未遂騒動が起きるのも珍しくないらしく、学校によく救急車が来ているということ。結局、大学合格実績をはじきだしているのは上位数十名であるということ。そんな話を在校生の親や、塾の先生から聞いていると、「何が何でも第一志望に・・・」という気持ちには、どうしてもなれませんでした。

 受験学年になったとき、カリキュラムのきつい大手進学塾から、小さな塾にかわったのもそれが理由です。同じクラスの受験生が1ヶ月学校を休んで、受験勉強に専念する。学校を休んでも塾へは行くという話を聞いたときも、子供が学校を優先させたいと希望したからというだけでなく、私自身、焦るどころか、そんな非常識なことをしてまで、「倫理観」を教わる学校へ行きたいと思うのはおかしいと感じました。だからと言って、この1年間、のんびり過ごしていたわけではありません。私も、「子供の心身に過度の負担はかけたくないけれど、効率的な勉強のためにできることは何でも手伝おう」と、塾と家庭の連携プレーを意識して頑張りました。

 10月までは成績も順調に伸びて、模擬試験でも合格圏内に入っていましたので、楽観視していたわけではありませんが、この勉強のやり方・親の受験への哲学が間違っていると考えたことはありませんでした。

 入試当日は、塾の先生から「絶対に行ける!」とお墨付きをもらい、第4志望校と第2志望校の合格をお守りにして臨みました。体調もよく、手ごたえもあったようですので、「不合格」を知ったときの子供の落胆ぶりといったら、ありませんでした。そして、第一志望校入試で燃え尽きてしまったのでしょうか。翌日に受けた第3志望校も、数日後に「不合格」の通知が届きました。

 あの日以来、「ブレーキをかけた私が悪かった」と自分を責める気持ち、大手進学塾の結果を知り、「あのまま大手進学塾を続けていれば・・・」と後悔する気持ちに毎日苛まれています。子供は、すでに次の受験へ向けて勉強を始めていますが、寂しげな表情を見ていると、失意と落胆と後悔の嵐に、胸が押しつぶされそうになりました。

 確かに、それほど努力しなくても、そんなに長い時間勉強しなくても、この学校に楽々と合格してしまうお子さんもいるでしょう。でも、我が子のような並(並以下?)の頭脳、素質の子供には、あのくらいの勉強量では到底及ばない学校だったのでしょうか。でも、それでも私は、もう一度チャンスをやると言われても、擦り切れるほど勉強をさせられるだろうかと思ってしまいます。小さい頃から塾漬けの毎日を送らせることができるだろうか。子供は純粋に「この学校へ入りたい!」と思えるのでしょうが、親としては、子供らしい生活もさせたいし、何よりもまず健康第一だし、入ってからのことも、つい、あれこれ心配になって考えてしまいます。そうまでして手に入れたいものってなんだろう?と・・・

 だからと言って、「第二志望で充分だわ」とも思えません。この地域は私立が少ないので、第一志望と第二志望の間には、かなりレベルの開きがあります。また、地元の公立は問題が多いので、どうしても私立を考えてしまいます。

 どんな受験生活を送るかは、ご家庭によってそれぞれでしょうし、子供の健康を第一に考えて無理をさせないというスタイルをとっていらっしゃるご家庭も少なくはないと思います。それで難関校を目指そうというのは、根本的に間違っているのでしょうか?  

 

 

 これを読まれている方で受験後に同じような思いを持った方もいるでしょうし、これから受験を控えて似たような葛藤をしている方もいるかもしれませんね。ましてや海外にいる場合、又聞きの又聞きのような情報に踊らされてしまう場合も無いとは言えません。悩みが悩みを呼び、何が良くて何が間違っているのかも分からなくなる。でも時間は刻一刻と過ぎていく。お父さんの帰国辞令はまだ出ていないけれど、受験時期に出ないとは決して言い切れない。海外において教育に関する悩みは尽きません。どのご家庭でも抱えていらっしゃるものです。  

 このご家庭では、子供への負担を考え、夜10時には寝させる方針を貫いてこられました。でも、入試前、模試の判定が悪く出た。時間が足りない。どうしたら?私たちはそんなご相談を受けました。それから、受験までの1ヶ月間、猛スパートをかけられました。私たちは、入試までの対策を練るため、塾に状況を確認することを勧めました。結果、塾の協力を得ることもでき、親との役割分担をして入試に臨まれました。これらはいつも私たちが言っているだけのことです。特別なことは話していません。結局、大事なのは「後悔のない受験にしてください」とアドバイスしただけです。

 アドバイスをした後、受験生である子供はお母さんにこう言ったそうです。「ママが絶対に10時までに寝なさいと、私の体を気遣ってくれるのは嬉しかったけど、これじゃあ、勉強時間が全然足りないと思っていた。受験生なら深夜まで勉強するのが当たり前だとママに言ってくれる人がいてよかった」

 そんな予想外の言葉が子供の口から出て、親としてはただ驚くばかりだったそうです。実は受験勉強が子供を一回り大きくしていたと言うことです。子供の「やる気」にブレーキをかけていたのは他ならぬ親であったわけです。芽を摘んでいた、ということなのですね。塾の先生のことも、上手に利用してくださいと、いつもお話ししています。例えばenaは週に一度しかないことが多いけれど、それだからこそ、子供達を観察しています。ご家庭から何かご相談があったときのために、何かアドバイスが出来るように、絶えず子供達を観察しています。ノートを観察しています。

 結果がうまくいった親子にとっては、良い思い出となり、結果がうまくいかなかった親子にとっては、苦い思い出となる。それが、「受験」というものです。そして、受験が終わった親にとって、大事なのは、合格するだけの「態勢」で臨んだか?ということです。この1点のみをあらゆる角度から考えてみる。受験までは結果についてはわからずに進んできた。果たしてこれでいいのか?足りないのか?どうなのかを模試の結果や塾の席次などから手探りで判断してきたわけです。だからそこには「後悔のない受験をしよう!」という合い言葉しか存在しません。しかし、受験の結果が出てからは、今度は結果に基づいて考えていかないといけない。それが、今回の受験は、本当に合格するだけの「態勢」で臨んだか?です。改めて振り返って、それについての答えを出さなければなりません。ただ「正解」はありません。

 仮にこのご家庭と同じ立場の人がいたとして、「十分であった」と判断する方もいるでしょう。いや、子供にブレーキをかけていたのをもう少し早めにはずしていれば、なんとかなったかもしれないなと考える方もいるでしょう。お子さんともよく話し合ったらいいのです。お母さんはこう思うんだけど、あなたはどうって。そうやって親子で今回の受験結果について、合格するだけの「態勢」で臨んだのかについて、意見を出して、検証し、すり合わせていく。仮説でもいい、推論でもいいんです。そこでの話し合いが次に向かっていくときの判断基準になってくるわけです。判断基準はどこかから与えられるものでも、降ってくるものでもありません。違う個性の子供たちが、違う環境で、違う勉強時間で、違う思いで受験に臨んでいるのです。同じ状況でも千の答えがあるはずです。その答えは共に戦った親子だけしかできないのですし、親子だけの答えがあるのです。

 それをした上で、親として、

 ・第一志望の学校の現状に賛同できなかったこと

 ・第二志望にこの学校を選んだ理由

 についての「親の思い」を合わせて子供に伝えていく。その「親の思い」は、これからスタートする学生生活をどのように臨むかについての「親の思い」でもあるのです。第一志望校で感じた「心の教育に重きをおいた」ものが第2志望校に足りないと思うならば、それを家庭でどうやって進めていくかも考えないといけないでしょう。「心の教育」はある場所に行かないとできないものではなく、身の周りにいる人やモノや事件などを通して感じ、考えていくものです。本来は、こうしたことも含めて考え抜いた第2志望校であるべきです。進学する予定である滑り止め校でもあります。ただ、現実には第1志望校から全て落ちて滑り止め校にしか受からなかった場合、相当なショックを受けます。その上で進学していくのですから、晴れ晴れとした気持ちで進学するには、相当前段階から親子で十分に策を練り、志望校の研究をしておかなければならなかったのです。それがなかったのですから、今、次のステップについて考えるのは当然とも言えます。

 もし、親として今回の受験についての反省があるとするなら、それも素直に子供に伝えればいいです。今回の受験が合格するだけの態勢だったのか?という問いを自分達に向けて答えを出そうとすることが大事なのです。答えは出ないかもしれません。でも、それでいいのです。答えを出そうと話し合ったこと、それ自体が大事なわけですから。

 「無理をさせない」とはどういう状態を言うのかで全然答えは違ってきます。例えば、志望校の過去問を親が徹底的に分析して、我が子のテストを分析して、なにをやって、何を捨てるのかを塾よりも明確に親が示し、そこだけに力を集中して、第一志望校に絞って効率的に勉強して合格した方もいらっしゃいます。そういう話を聞くと、そんな風にまるで「ヤマをかけた」ような勉強をするのは子供にとって良くないと感じる方もいるはずです。それならば、やっぱり時間は余計にかかっても、全方位で勉強していかなければならなくなる。それをするだけの時間は、「無理をさせない」と両立するか?こういうことも考えてみないといけないでしょう。言葉は悪いですが、「ムシのイイ話」をうまくいかせるためには、どこかで誰かが「研究したり」「効率的な作戦」を立てないといけません。そして、その研究や作戦立案には、ものすごい時間と労力がかかる。子供の負担を減らそうとすれば、親がそれに代わるものを引き受けなければならないわけです。そうすることで、子供はかけられる時間を集中して効率的に必要なものにかけていくことができるわけです。でも、今度は効率的に集中的にやってきたものが今年は傾向が変わって入試では全然違う問題が出た!!なんてこともあるわけです。効率的にやったものがまったく効果を発揮しない!!それらをどう選択するのかは、他人が決めることではありません。

 もし、現時点までに答えを導き出すことができていなければ、今すぐやりましょう。その答えを出すことができれば、下のお子さんの受験をどうするかは、自ずと決まってくる。悩むのはイイ。迷うのもイイ。でも、いったんそれに答えを出してみる。出した答えに沿ってやってみる。間違っていると感じれば、引き返せばいい。毎年受験があるわけではありません。次の受験までに軌道修正しながら、確信を持って進める選択肢を確定させておく。3年後、6年後に受験というのは、そういう意味の期間だと思っています。だから私たちは、受験生をお預かりするのに最低でも2年は預からせて頂きたいのです。

 やっぱり、いつもいっていることと同じ事ですね。新しいことは、何一つありません。主人公は子供達。後悔のない受験をして欲しいのも変わらない気持ち。やっぱり、覚悟邸のレベルにおいて、必死になることは必要なことだと私たちは思います。

 これまでも、これからも、enaはenaです。頑張る人を応援する塾でありたい。いつの時代になっても、受験は受験、なのですもの。

 

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