まえのページにもどる> <もくじにもどる

2009年5月号 「親は子供をどう評価すべきか」

 

■今回のテーマは?

 ここ暫くは、低学年を中心にお話ししてきたかんじがありますね。中学受験が中心のお話しってかんじでもありました。ご存じのように、海外駐在員は低年齢化して、大きなお子さんのいらっしゃるご家庭は減少傾向にあります。このため、enaワシントンDCでも小1からの受け入れをしているわけですし、巷ではボランティア日本人幼稚園までがあるわけです。その意味では、中学受験中心になったり、低学年中心の話になるのは当然だったわけで。。。

 さて、では今回は視点を変えて、中学生を中心に考えてみることにしましょう。例えば、現在中学1年生のお子さんだとしましょう。アメリカに来て2年が経ったとしましょうか。英語は流ちょうとはいえず、一応、中学受験の準備はしたものの、志望校には届かなかったというケースが良いかな。そして、そのまま現在も塾に通っている、そういうお子さんのお話としましょう。  

■どんな状態?

 成績が良いお子さんであれば、中学受験も突破しているわけで。。。ということは、「それなり」の成績でしかないお子さんだとしましょう。当の本人も、一応成績については悩んでいるとしましょう。でも、自分のやり方を「試行錯誤」するまでは、もっていけない。今までの勉強方法と同じで、成績が上がっていない現実があっても、やり方を変えることが出来ない。具体的には、赤ペンで答えを書いてオシマイとか。途中の式は書かないし、自分のやり方にこだわって、塾での解法など聞きゃあしない、とか。「でも、あっているから、これでも良いんですよね?!」と自分を認めて欲しくて仕方がない、とか。

 プライドは高いから、否定されたくはない。でも、成績向上がされていない事実は分かるから、ナントカしたいとは思っている。でも、行動にはうつせていない。そんな我が子を見ると、つい、親としてはキツいこと、いってしまいがちですよね。実際、よく耳にするケースですから。「かあちゃんに、すげぇー怒られた」とか。「どんな風に怒られた?」と聞けば、そりゃあ、まあ、すさまじい。。。まあ、子供の説明ですから、半分はフィクション入っているとしても、ですねえ。

 別のケースでは、子供自身が「成績が上がらないこと」をまったく気にしていないように見えてしまうことに、腹を立てるというケースもよく耳にします。「ぬらりひょん」じゃあ、ないですけど、お子さんは淡々としている。親は成績の乱高下に「きぃー」っとなっているってかんじですか。身内が勉強を教えることの最大の関門は、これですからね。親は子供が少々気にしたくらいでも、やっぱりきついことを言ってしまうようですが。  

■評価する?!

 親としては、「塾にも行かせているのにどうして?」なんて思えてしまう。また、勉強態度にも、「こんなだから、成績は上がらないでしょ!」と思えてしまうフシがある。時には、生活態度にもカチンとくることもある。塾に行けば、入り口で挨拶もしない。(最近は保護者の方が素通りってことも多いのですけど。。。)赤ペンを借りて返すときも黙りこくっている。そんな我が子の態度を見たら。。。なんてことです。

 さらに!親としてカチンとくることには、小生意気にも、一人前に反論もする。「じゃあ、かあちゃんは、どうなんだよ?!」といった日にゃあ、それはそれは、大変な日になるわけで。。。

 そこで、今回はだいたい中学生以上のお子様を持つご家庭において、「親は子供をどのように評価すべきか?」といったテーマで書いてみたいと思います。  

■評価方法を分析する

 さて、上にでてきた例は、明らかに『減点評価』といわれる評価方法ですよね。減点評価とは、「あれができていない、これもできていない!」とする方法です。なんだかアラ探しのようになってしまうこともあります。いわゆる100点満点から、できていないものを減点していく評価方法だからでしょうか。よく「お役所」では減点評価であったりして、ミスをしたモン負け!なんていわれたりします。提出した書類に不備があったりすると、もう大変。なんども突っ返されたりする。。。おっと、当地は外務省のお父さんも多いから、お役所なんて言い方したら、「公務員全員が横柄な態度をしているわけじゃないんだぞ!」って怒られちゃう?!まあ、これは一般論ということで、見逃してもらいましょうか。すんましぇん。

 さてさて。親の言い分とすれば、「不足している部分が目につく」となり、できていない順番に指摘してしまう。子供の言い分としては、「親からいろいろ言われてやる気がなくなった」となる。結果、親子バトルへと発展していく。地獄を見るってな、あんばいです。これが、一般的な「減点評価」による様子。特にアメリカに来て、現地校の生活にのっかるまで全く無かった減点評価だったのに、帰国が見えてきて、突然日本の勉強を始めたりなんかすると、陥りやすい。

 一方、逆に

 「これもできるようになった!」

 「あれもできるようになった!」

 な〜んて、褒めるのが『加点評価』ですね。ベンチャー企業などがこの加点評価を取り入れていたなんて言われたりしました。失敗してもいいからどんどんやってみろ!いかにミスしないかではなく、どれだけチャレンジしたかだ!な〜んて感じです。(でも、多くのベンチャー企業、生き残っていないですよね)

 アメリカの教育は、どちらかというと『加点評価』に近いところがある、とお考えのご家庭が多いのではないでしょうか?日本の評価は、絶対評価に変わって少し変化したものの、それでもまだ『減点評価」であると思われているご家庭が多いとかんじます。それは、後ほど考えることにして。。。

 そこでよく「減点評価」と「加点評価」どちらが良いのか?という議論になったりします。まあ、こうして両者を並べますと、「加点評価」に分があるように思われます。自分に当てはめてみても、やっぱり自由で伸び伸びした雰囲気を感じられる加点評価で評価されたい!なんてね。  

■どっちの方が良いのか?

 確かに、親の言い分はともかく、評価される子供にとっては褒められるのは気分が良いです。そっちのほうが親子バトルも減るでしょうし、子供もノリノリになる可能性は高いわけです。こんなことは、みなさんだってご存知なハズ。教育に関する本も多くは、「加点評価にすべき」と説いています。

 では、塾などは、どう考えているのか。enaは?私個人は、どう思っているのか。実は、「減点評価」と「加点評価」については微妙な感じです。「加点評価」が大切なのはわかる。これ当然。でも、「減点評価」は全くダメとは言い切れないということです。

 なぜなら、『成績が良い子の親は、明らかに「減点評価」だから』なのです。これまで見てきた成績が良い親子の会話を聞いていると、どう見ても「加点評価」には思えません。「あれができていない、これもできていない!」なんて、激しい口調で言ってますから。アメリカかぶれしちゃって「誉める教育が大切なのよ」というご家庭に限って、お子さんの成績はボロボロであるケースが多い。小さい頃から「おだてて木に登らせる」ことをしてきていないのに、突然始めたって成果は出ませんよ。日本の教育環境って、なんでこう、行き当たりばったりなんでしょうねえ。「ゆとりが大事だ!」とかいって、もう「ゆりもどし」ですよ。削減した教科書内容、復活です。振り回された子供達が迷惑!乗せられたご家庭は、結局「損」をしています。しかも、教育という、最も貴重な財産を失ったんですからね。本当は、振り回した犯人は重罪です。そんな話はさておき。。。

 不思議なのは「減点評価」でやっても、バトルにならないこと。子供はそばで、「うっ、うん」となにやら我慢しながらも頷いている。そこが大きな違いでしょうか。どっちが良いのだか、混乱してきましたね。  

■落ち着いて考えてみよう!

 親は、子供が生まれたときはみんな「加点評価」なんですね。

 「あっ、笑った!」

 「お〜、寝返りしたぞー!」

 「スゴイ、3歩歩いた!」

 「ついにやった、自分でトイレにいけるようになった!」

 とか・・・。褒めて、乗せて、加点加点で子供を大きくする。そして、ある時期から徐々に「減点評価」に変わっていくと思うのです。これは、成績が良い子の親もそうでない子の親も同じ思います。では、ある時期からは、たいていやってしまう「減点評価」なのに、成績が良い子の家庭とそうでない家庭で違いがでるのはなぜか?

 それは、「加点」→「減点」へ移行するタイミングの違いだと思うのです。

 どういうタイミングが良いのか。簡単なことだと思います。子供が望むかどうか、だけだと思うのです。例えばこういうことです。今現在、成績が振るわない子供に「減点主義」で、あれもできていない、これもできていないと言えば、そりゃあ、嫌がります。なんにもできない赤ん坊に減点主義で臨むことを想定すれば、それはよくわかるはずです。できていないことがたくさんありすぎる状態で減点評価をすることの怖さがここにあります。アメリカにきたばかりで、現地校に放り込まれて、英語も分からず、家に帰れば親に減点法を突きつけられたら、やっていられませんよね。精神的に参ってしまうでしょう。小さい学年であれば言葉を使わずに繋がる『何か』もあるでしょう。でも中学生以上となると、プライドもある。相手のことも見える。話せないけど、なんとなく感じるってこともあります。自分が出来ないということが嫌と言うほど分かっているのに、とどめを刺される。「あんた、これもできないじゃないの!」まさに、撃沈。だから良く言われるんですね。「算数・数学だけは、評価してもらえる。それをきっかけに頑張れば良い」って。

 成績が良い子の場合、「できること」がすでに結構あるわけです。減点する項目もあるにはあるけど、数えられる程度になってるわけです。また、成績が良い子になれば、自信のある「何か」が既に作られているわけですから、精神的な安定もあります。ある程度のプライドを持つ子供に対しての減点法は、「こんなもんじゃねえぞ!」という元気の素にもなりえます。良い意味での『反発』が生まれるわけです。しかし、成績が振るわない状態で、自負も自信もない子供にそれを使うと、同じ反発でも、「やってられねえ!」とか「ふざけるな!」という『負の意味での反発』になってしまうわけです。  

■アメリカ生活での評価

 「加点」→「減点」へ移行するタイミングは、ご家庭で違います。現地校の生活状態によっても違うでしょうし、日本の勉強の達成度によっても違います。タイミングを見誤ると、勉強全てが成績下降スパイラルに陥ることもあり得ます。「褒めて育てる」と「叱って育てる」は、対立したものとして捉えられます。じゃあ、褒めればいいのか?といえば、そうではありませんよね?

 わかりやすく極端な例でいきますが、すご〜く簡単な問題、2つも下の学年の問題がスラスラできた!「あなたはすごいわね!!こんなにスラスラ解けるなんて!」なんて言ってみたら、子供はどんな反応をするでしょうか?断言しますが、喜ぶ子供なんて一人もいません!

 問題なのは、「褒めること」でも「叱ること」でもなく、なにを褒めて、なにを叱るのかということなのです。「褒めて育てよう!」ということに捉われることによって、大事なポイントを逃してしまう。やるべき事、必要なことから目をそらしてしまうと言うことです。今やるべき事は、本当に「それ」なのでしょうか?「それ」をすることで、次のステップが作れないとしても、やるべきなのでしょうか。「できていない!」と叱咤激励することは、「それ」で良いのでしょうか?「がんばったね!」と自信を持たせるのは、「それ」で良かったのでしょうか。毎日を過ごすことが精一杯!と逆ギレしたり開き直ってしまうのは、簡単なことです。でも、可愛そうな目に遭うのは、他でもない、子供達です。だから私たちは、これまでも、これからも、言い続けるわけです。「はじめに志望校ありき」と。評価だって、「我が家の進学設計」にあわせなければ、全くの、無意味です。「現地校の成績が大切!」と闇雲に叫ぶ噂に、疑問を感じる余裕を持って欲しい。我が子を、自らの手で犠牲者にしたくないのであれば。

 ちなみに、成績が良い子の家庭では、「加点」から「減点」への移行と同時に、夫婦で「加点」と「減点」を使い分けているところも多いです。これは夫婦の価値観が違うわけではなく、子供に対しての役割分担として、意識して行っているようです。

 さて、ご家庭での評価方法は、如何に???

 

 

TOPへもどる