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2001年11月号 「大人の役割」

 「英語の力だけは現地校でかなり付いたと思うから。。。」「家でもできる限り英語で話した方がいいからとESLの先生にいわれたので家族で実行しています」

 こうしたご家庭は、意外に多いのかと思います。先日、卒業生からもらったEメールをご紹介しましょう。

 「アメリカに10年もいて英語は大丈夫と自信を持っていたが、いざ日本の高校に通い始めたら自信が無くなった。結局『この不定詞と同じ用法を用いているのはどれか』とか見たこともないイディオムを覚えさせられたりするんだもの。英文解釈だけなら十分通用するのだけれども、それでも例えば英文和訳の時は日本語が出てこなかったりするから不完全。日本の英語が要求する英文法となるともっと悲惨。」

 こうした卒業生達の苦しみを「教訓」にして次世代につなげていこうとする作業も、私たちの大切な仕事の一つです。

 彼女の言葉は現在の日本の英語教育や入試における英語の扱われ方を批判しているとも取れます。英文解釈は日本語との互換性を大切にしているものであり、これは今後も求められる力です。しかしモノリンガルであれば互換性はありません。双方の文化的背景まで理解した本当の意味でのバイリンガル能力が要求されるのは良いことだとは思います。

 しかし、コミュニケーションだけでどうなのでしょうか。考えてみれば入学試験や定期試験で「どのくらいコミュニケーションが取れるか」という力を試すとしたら、膨大な時間がかかると思われます。帰国枠入試で、しかも受験者数が毎年少数(1桁)に限られている大学であれば、ひとり15〜20分ほどの面接試験を実施しています。これが受験者が3ケタになれば試験日を長期日程で組む必要が出てきてしまいます。今の受験制度上ではほとんど不可能です。

 もっともそれ以前に、コミュニケーションが取れるということを最上級扱いすることが間違っていると思います。コミュニケーションは使うものであるはずですし、道具に過ぎないはずです。道具が立派になったからと言って、それだけで評価されるべきではありません。日本の学校に進学するのであれば、あくまで「日本の学校に進学するものとして十分な学力が備わっている者」が最低基準のはずです。コミュニケーションがストレス無く取れるようになっただけで安心しているのであれば、それは危険なことです。極論で言えば、帰国後、せっかく興味がわいてきた「英語」に対しても、嫌悪感を抱いてしまう可能性があるのです。英語教育に力を入れている学校であったとしても、例えば進学校であれば、ペーパーテスト対策にも力を入れるはずですから、こういった問題が起こり得るのです。帰国するのであれば、こうしたことも考えておかなければならないはずです。

 英語力取得を含めて、現地校での生活は貴重な体験の一つです。私も否定はしていません。しかし、体験し、それだけで終わってしまうご家庭が多いというのも事実です。現地校での経験が思考力育成に応用されている、価値観が変わった、例えば勉強の仕方も以前とは違う。そこまで感じていらっしゃるのであれば、体験を血肉にしているといえるでしょう。そして「この経験を帰国後に生かしたい」とおっしゃるのも頷けます。卒業生達を見てみると、現地校での経験を生かすことができたと思える生徒達は、アメリカ現地校であろうと日本国内の学校であろうと「知的好奇心にあふれ、向上心を持った学校生活を送れる生徒」が多いような気がします。彼らは「現地校が忙しいから。。。」という言葉を「言い訳」に使っていなかったような気がします。

 もし、お子さんが、現状では日本の勉強まで手が回らないというのであれば、周りの大人が「できるように」導いてあげるというのが、先人の務めなのではないでしょうか?帰国に備えての準備を一日も早く始められる「環境」を揃えてあげるべきではないでしょうか。そうでなければ、英語の話だけではなく、他の教科においても「必要以上の苦労」を背負わせることになるのです。それを「これ以上はかわいそう」という言葉で目を閉ざしてしまっているのであれば、結局は大人としての義務を放棄しているということにもなりませんか?

 理想論だ。現実は現地校の生活に追われて苦しんでいるのに、これ以上の無理はさせられない。成功した彼らはもともと優秀な生徒なのだろう。

 もし、本当にそう思われているのであれば、これを読んでいらっしゃらないでしょう。正直、半分はそう思い、半分は無理ではないかと思われているのではないでしょうか。とすれば、以下の点をお考え下さい。

 『漢字が書けなくなってきている。さらには読むこともできなくなってきた。作文は幼稚な文しか書けなくなってきた。分からない問題があると、考えもせず、すぐに助けを求めに来たり投げ出したりする。計算力が落ちた。作業が雑になってきた。ニュースには興味を示さなくなった。年齢相当の言葉が使えていない。たとえば敬語は全く使えない。常識的な日本語彙も怪しくなってきた。兄弟間では英語で話し始めている。日本語でも単語しゃべりばかりしているから、こちらが言いたいことを類推しないと会話が成立しない。日本語で何というのか分からないと言い訳することが多くなってきた。。。』

 小4以上のお子さんでこれらに当てはまることがあれば、私が言うまでもなく、ご家庭でも悩まれているはずです。これらが何を意味するのでしょうか。

 これらは退行現象の始まりを示すかもしれません。海外にいると起こりやすいといいます。注意していただきたいのは「退行現象は語彙が幼くなることだけを指すのではない」ということです。「思考や行動」にも現れるということです。抽象概念の把握ができない。例示しても、そこから真理を追究する思考パターンに入らないなどの例があります。

 「海外生活をする上では仕方のないこと」とおっしゃいますか?それでは帰国後に「いじめの対象にも成り得るところ」まで退行することがある、といえばどうでしょうか?

 考えてみれば「年齢相当の常識」が欠けていくのが退行現象です。日本に帰国して異色を放つことは明白です。そして悲しいかな、異色過ぎる者は排除してしまうのが日本民族の性質です。それを跳ね返すほどの何かを持った生徒であれば、取り越し苦労です。しかし、ここ数年、少なくとも私の経験では、そうした生徒は激減しています。

 「それならば、帰国枠に配慮のある学校に進学しよう。入試も作文だけだし。」

 そうお考えになるご家庭もあるかもしれません。

 ところが、面接や作文だけで合否が決まる学校は、救済校と言われるほんの一部の学校を除いてありません。また、私立校でよく見られる課題作文であれば、課題文を読みこなす読解力が必要です。読解力と作文力は比例します。読解力がない生徒に作文能力は備わっていません。言語を変えても同じです。英語の読解力がなければ英作文は不可能です。日本の学校英文法をやれば書けるようになるというものでもありません。何れの言語の、何れの科目であっても、読解力が要です。これを向上させるためには道具となるべき語彙の積み重ねをもとに、本文を暗記する力も必要です。さらに要旨をまとめる力も必要です。要するに思考訓練が必要なのです。理系科目であっても同じです。これらは日々訓練して行くしか解決方法はありません。一日や二日でどうにかなるということではないのです。退行現象が見られる生徒は、この思考力が著しく低下する傾向が多く見られるのです。現地校で「英語がまだ苦手だから仕方がないね」という扱われ方をされているのであれば確率は高いと思います。この扱われ方に慣れてしまっている生徒は「とりあえず、こうしていれば許される」という発想になっているかもしれないからです。そうなると思考を放棄している生徒が多々見られるのです。受け身の姿勢になってしまう生徒にも多く見受けられます。また勉強しているときに「すぐに答えを聞きたがる子供達」にも要注意です。「なぜそうなるのか」というプロセスを大切にしなければ思考は中断しているからです。

 読解力だけが問題ではありません。「常識」という広い範囲を表す言葉にも問題が隠されています。現地校になじんだ生徒の場合、「独自な発想」「ユニークさ」「柔軟な考え」という言葉と「思いついたことをすぐに口にすること」を混同している生徒が多く見られます。前者は「常識」や「思考」の上に基づいたものであり、本物といえます。後者でさらに退行現象と合併症を引き起こした場合は最悪「年齢相当の日本語理解力は修復不可能」というレベルに達するかもしれません。

 日本国内であれば、子供達は同級生や近所の人、テレビや駅のアナウンスなど、様々なところから影響を受けています。言語運用能力の上でも、思考力の形勢の上でも、こうしたことは「刺激」となっています。良いものも悪いものも相当の量が子供達の中に入り、それを家庭における「普通」という「ふるい」をかけていくことで彼らの常識が育つはずです。ところが発信源が限られた日本語からは刺激が伝わりません。ふるいにかけられるほどの量もなく、そのまま吸収されるということは語彙的にも思考力育成の面からでも「貧困」になることは明白なことではないでしょうか。ということは、必要な量を「勉強」として入れていく以外に方法はないはずです。例えば日本文化や日本での常識などです。「縁側」「柏餅」「鶯色」「授業後は教室を掃除する」「上履き袋」「目上の人に対する言葉遣い」などという言葉等に対しては皆目見当が付かないのであれば、それは日本人としての常識からは逸れ始めています。日々入力していないのであれば、いきなり「おまえ、それは日本人としての常識だろう」といっても後の祭りです。こうした「日本にある独特の言葉」をキーワードとして、言葉の裏に隠された心情を探り出すということは、簡単に身に付きません。小3までは国語は得意だった、といっても言い訳にはならないのです。小3では、そうした出題がされないのですから。帰国枠受験にこういった力を要求するとは、とても酷なことです。しかし、多くの学校で現実に出題されているのです。これには早めの準備しか対応策はありません。

 また、入力を怠っていると「分断された言語感覚」「分断された文化」を持つ子供になりがちです。そして、現地校に慣れ元気いっぱいの生徒であればあるほど、帰国生としての自分を前面に押し出してしまいがちです。ところがまだまだ閉鎖的な「村社会」である日本は「外国はがし」を始めます。こうしたことが分かっている生徒はTPOをわきまえ、帰国生としての自分を前に出す、あえて引くというタイミングが計れますが、そうではない生徒であれば孤立します。事実、帰国生が多い神奈川の私立校でも帰国生の一部が孤立するということは良く聞く話だそうです。

 『最近の相対的学力をつかんでいない。日本の学校情報を入手していない。受験制度について知らない。編入がどんなものか知らない。昔の学校のイメージしかない。公立・私立の違いや現状を知らない。移行措置について知らない。帰国枠と一般枠のレベル差について知らない。帰国枠を使って入学した後の学校生活について知らない。周りの人から帰国枠は楽だと聞いている。現地校の生活に慣れたので、日本の英語の試験(例えば英検など)は余裕があると思っている。日本の勉強は最低限のことしかやらせていない。現地校の勉強をしっかりやっていれば受験に有利だと思っている。特技を伸ばせば入れる学校があると聞いている。作文が書ければ入れる学校があると聞いている。。。』

 子供達に環境を揃えるべき大人がこうした状態であれば、子供達に必要以上の苦労を背負わせていくことになるのです。若いときの苦労は金を払ってでもしろとはいいますが、その後の人生にマイナスになるような苦労も、なのでしょうか?彼らには今後、いくらでも苦労があると思います。もし、大人の「必要以上の過保護」によって要らぬ苦労が増えるのであれば、彼らは大人の犠牲者になってしまいます。彼らにとって、一度落ちた学力を取り戻すことがいかに大変なことか!ましてや欠けた常識を入れることがいかに苦痛なことか!彼らが犠牲者になる理由はどこにもないはずです!これだけ技術が発達し続けている現代社会において、とりあえず、と刹那主義で生きていくことがいかに危険なことかご存じのはずです。

 毎日精一杯生きている子供達に数年後の帰国を想定しろと押しつけるのは無理な話。だからこそ、私たちを含め周りの大人は、先人の務めとしてとして彼らを「導く」義務があるのではないでしょうか。

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