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2007年10月号 「難関校を目指すとは?!」

■マスコミ批判ではありません■  

 帰国枠入試はロングラン入試です。このことは、大学入試でも中学入試でも当てはまります。中学入試では早い学校だと11月中に試験があったりします。そうなると、今は志望校「決定」の時期にあたります。「選択」の時期ではないのです。11月から始まるなら残り1ケ月しかありません。いまだに志望校が確定していないなら、第一志望校に向かっての準備がおろそかになること、間違いありません。当然、受験は失敗する確率が高まります。

 日本国内の受験コーナーを見ると「併願パターン特集」とか「学校紹介」の文字が目立つ時期になっています。合格実績が出そろい、分析が完成した6月ごろなどは、それらに関連する記事が週刊誌等で盛んに報じられていました。例えば、週刊東洋経済では、「本当に強い中高一貫校」という特集記事がありました。見出しには、『入ってから学力が伸びる「お買い得」校はここだ』というような、そそられるキャッチコピーがついていました。思わず見ずにはいられないという気持ちになります。他にも、週刊朝日の臨時増刊号では、見出しに、「一流校に入る」などとありました。これもまた、そそられるタイトルです。私も、アマゾンを見ていて、つい買ってしまいました。特に海外では、立ち読みする機会がほとんどありませんから、良いキャッチコピーには「つい」飛びついてしまうこともあります。(私だけかしら???)

 さて、その週刊朝日の中の特集として取り上げられていた「東大合格者の家庭力」という記事が気になりました。例の「ドラゴン桜」のブームから、東大人気復活。「効率的な成績向上法」という何ともインチキ臭い視点で関係書物は売れているわけです。思い起こせば「陰山式」も「公文式」も「効率よい学習法」として扱われてしまっていますね。本当は違うのに。。。おっと、当地はマスコミ関係のお父様も多くいらしたのでした。断っておきますが、決してマスコミ批判ではございません。それをご理解頂いて。。。  

■今の東大生・昔の東大生■

 東大云々というテーマや流行の「家庭力」などという記事は最近多く見られます。前述の雑誌などを見ていると「親子で必要以上のニコニコした写真」があります。あの品のよさそうな合格者の家族の写真を見ると、ひねくれ者の私など、いつも違和感というか、ある種の絶望感のようなものを感じるのです。決して合格者の方にケチをつけるつもりはありません。そんなことをいったら、可愛い私の教え子達の中の、東大合格者達にケチを付けてしまうことになります。そうではありません。

 こういうことです。あの「ニコニコ顔」の合格者の家族写真を見ると、いつも自分自身が受験生だった頃のことを思い出すわけです。私が受験生だった時期、もし仮に「親子で写真とりますよ」などと言われたら、間違いなく、品のない言い方で「フザけるな!オレには、関係ねぇ!」などと突っぱねてたと思うのです。親との会話は無かったし、写真にあるように、軽やかな微笑をたたえて、Vサインみたいな感覚は皆無でした。あの和やかな親子写真は、私にとって、なにより一番のハードルのように思えて違和感を感じてしまっていたわけです。

 ところが海外勤務になって、この違和感が無くなりかけています。自分が子供を持つようになって、ようやっと絶望感から解放されかけています。特に海外に生活したご家庭は、兎に角親子間の結束が硬い。絆が固い。家族で一致団結して、合格を勝ち取ると言うことがマンガではなく、現実にあったわけです。そうやって第一志望校に合格し、進学していった教え子達を見て、私は勉強になりました。ああ、これが「ニコニコ顔」の原点なんだ、って。昔と今の、受験生の大きな違いなんだろうな、って。  

■成功談から何を学ぶか■

 東大合格者の記事を読んで、何を学ぶか?機会があったら、こうした週刊誌などを一気読みしてみてください。例えば、こうしたデータがありました。週刊朝日が行ったアンケート結果の中に、勉強時間に関するデータがありました。小中学生の子供をもつ親であれば、東大生の小中学生時代がどうだったかは気になるところです。どうしても目が行くのは、彼らは、いったい、どれくらい勉強してたのか、ということでしょう。今回読んだ週刊朝日の記事から数字を拾ってみると、

  小学6年の勉強時間 → 0時間・29%
  中学3年の勉強時間 → 0時間・28%

 どうやら0時間と答えた人が一番多いようです。勉強をどのくらいしてましたか?という質問に対して、「0(ゼロ)」と答えているわけです。

 改めて解説する必要もないかもしれませんが、0(ゼロ)といえば、「1秒たりとも勉強していない!」と答えたことになるのです。この結果を見て、みなさんはどう思いますか?  

 (1)「うちの子もゼロだから、東大も夢じゃない!」  
 (2)「やっぱり、生まれつきの頭が違うんだ!」  
 (3)「ウソ答えているんじゃないの?」

 まず、(1)「うちの子と同じだから、東大も夢じゃない!」と思った方は例外としましょう。危機感が無いご家庭は、塾からの「こんな」読み物など興味無いはずです。海外にいて、貴重な体験をして、しかも東大は勉強しなくても入れるから、と思われているのですから、がんばってくださいとしか言いようがありません。(2)と思った方が一番大多数かもしれませんね。昔から「灘をうける連中は他とは違う人種」とか「開成に受かる人間は、別格」などと言われていました。今は努力で変えられるといわれているものの、偏差値を見てみると、やっぱり。。。と思ってしまう。ちなみに、(3)と思った方もいらっしゃるはずです。少数派でしょうが、これは私たち「受験屋」の視点と同じだと思います。だって、ゼロって、ねえ。絡繰りがありそうだって、勘ぐってしまいますよね。

 アンケートでは、それ以外に、小6で3時間以上が14%、覚えていない・不明が17%となっていました。このあたりになると、ガンガン勉強していたとも考えられますが、0時間が3割というのはどうしても腑に落ちません。さて、どう思われますか?「勉強する小学生としない小学生の二極化」「小学生から負け犬」などという記事も読むと、「うちはどっちかなあ」なんて。

 さて、ヘソの曲がった私は、(1)〜(3)のどれとしたでしょうか?正解は、「どれも、当てはまらない」です。まず(1)は、「楽観的な考えも時に必要ではあるが、いつもお話ししているように、危機感を同時に持ち合わせないとステップアップは難しい。」ということです。極めて妥当な答えですね。ビジネスマンのお父様なら、ご理解いただけるはずです。可能性があると考えるのは良いけれど、我が子に欠けているのは何だろう?といった姿勢が「常に」必要ということです。刹那主義では未来は開けません。(2)は「親がそう考えた時点で、可能性はゼロなる」ということです。ご両親がエリートである当地において、早々に諦めてしまわれるご家庭はほとんどありません。ただ近年多いのは、「うちは受験勉強に縛られず、おおらかな人間に育てたいのです」とおっしゃって、現地校の生活・お稽古ごと中心の生活を送られるご家庭。それはそれで良いのです。でも、どこかで(2)のように考え、エスケイプのルートとして、現地校崇拝主義になられているのであれば、反対です。それは子供の可能性を潰しているに過ぎない。しかも、帰国間際になって「やっぱり受験させなきゃ」と慌てる。まさに子供達は「犠牲者」です。

 (3)について。別に嘘では、ないでしょう。では、裏を返せば生まれつき頭が良いということになってしまいます。矛盾しちゃいますね。解説します。まず、よく見ないといけないのは、掲載されている子供たちは、みな受験学年になった1年間で、飛躍的に成績が上がって合格を勝ち取ったという「大逆転組」ではないということです。良く読んでみてください。掲載記事には、東大合格者を30〜40人輩出する学校で上位をキープしている子供達が多いのです。浪人組でも、現役で早稲田大には合格したけど蹴ったなど、子供たちは、不合格になった年でも、合格に非常に近い位置にいたことが分かります。つまり、すでに東大に届く位置にいた連中であったということです。そうであれば、こうした記事を読むときには「一般的な勉強時間とは、感覚が違うことを注意しろ」ということになります。

 必ずしも勉強を全くしなかったという意味で、勉強時間「0」と答えたのではないでしょう。そういう意味では(3)の嘘でしょ、ということに近づきます。でも、仮に、家では勉強をしなかったとします。これより勉強時間は「0」です。では、学校では授業を受けなかったのか?いえ、それは無いです。不登校の子供という記事はありませんでした。「中高一貫進学校」へ進学していれば、中1の段階で相当ハイレベルな授業だって受けているわけです。そんな授業を受けるのに、予習復習ゼロということは考えにくい。百歩譲りましょう。今は「自習室」も完備している塾です。お父様が「家に仕事は持ち帰らない」という方で、子供もまた「家では勉強しない」ということもあるかもしれません。今時の塾は、本当に深夜まで付き合ってくれます。そういう感覚の連中が確かに存在するわけです。このレベルは、例えば日本国内でも、海外でも、「今日は、塾でいっぱい勉強したから、家では勉強しないでいいでしょう?」と甘える子供達の感覚とは雲泥のものです。ただ座って授業を受けただけの時間を「勉強時間」とカウントしてしまう「甘えん坊」と、「自学自習が完成し、集中力が人並み以上にある連中」とでは、明らかに勉強時間の「常識」が違うというわけです。  

■けじめのある生活をしているか?■

 家庭での勉強が「0」に近いということは、それだけ学校や塾の授業を恐ろしいくらいの集中力で聞き、授業時間内に、ほぼ自分のものにしてしまう。そんなことも可能なのです。

 記事に出てくる子供達のほとんどは、かなり早い段階から合格圏内につながる位置を小中高と維持していることも、よく頭に入れて読む必要がある。もちろん、例外も居ますが、あくまでも一般論は、合格圏内に「早めに」動いていた生徒達なのです。そういう連中が「小学、中学のときは公立でした」といっても、その中では確実に首位をキープしていたことでしょう。公立高校であっても、トップクラスをキープできた。学校は違っていても、「合格圏内につながる位置をキープした結果」が合格に結びついた。そういう事実をしっかりセットで読み取ることも大事なのです。

 私たちは、すでに出来上がった状態の連中の勉強時間を参考にするのではなく、合格圏内につながる位置に入るために、何をすべきか?どうしたら圏内に入れるのか?この点を考えるべきなのです。

 その1つとして、成績が良い生徒の「学校や塾での授業の受け方」をチェックしてみると良いでしょう。学校や塾の授業を真剣に聞き、今より多くを授業内でマスターすることができれば、今より家庭学習は減ります。これは簡単に言えば「きちんとけじめのある生活を送っているか」ということです。言葉遣いも、あいさつも、これらけじめの一環です。そんなこともできずして、早めにきちんと詰められていけるとは到底思えません。思い起こせば、私の「東大へ進学した教え子」たちは、たしかにけじめを付けられていた生徒ばかりです。生徒自慢が私の宝ですが、いわゆる上位難関大学に進学した生徒は皆、きちんとけじめのある生活を送っていた生徒ばかりです。挨拶もろくに出来ず、言葉遣いもマトモに出来ない、だらしのない生徒は、皆無です。(ヘンな奴は沢山居ますが。。。)

 授業が良く理解できて、自分の中に時間内に落とし込めれば、勉強は楽しくなります。どんな子供でも理解する能力は備えています。それを時間内に、という限定が付くと多少の訓練では身に付きません。また定着させることも、訓練無しには難しい。覚えることに抵抗感が無い子供は、有利です。でも、理解はしたけど、いつも思い出すのに時間がかかってしまうという子供は、早い時期からの訓練が、受験には必要不可欠です。何しろ「思い出せない」ということは、それだけ受験勉強には不利なのですから。

 こういうことは、落ちこぼれだった私は逆に良く分かります。私の高校の授業は日本語だったのに、話している意味も、内容も、全く分からなかった。だから逆に、「これが、こうわかったら、もっと面白くなっていたんだろうな」ということを感じるのです。何が行われているのかが分からない子供が家庭で自分から勉強するということはあり得ません。そんな子供に「一緒に宿題しよ♪」などといっても、お父さん先生・お母さん先生は、一から説明し直さなければなりません。「じゃあ、何のために塾に行っていたのか?」ということになります。お金と時間の無駄、です。  

■学校の事を考えてみれば■

 前述の通り、マスコミ批判ではありません。でも、記事は読んでもらわないといけません。最初から読んでもらうことに期待していない私の書くものとはレベルが数万倍違います。そうなると、週刊誌の記事に嘘はありませんが、あえて語っていないこともあります。読んでもらうための技を使っていることがあります。例えば「中高一貫進学校」に通って、「東大合格実績抜群の塾」に通っている生徒のこと。その環境において、家庭学習時間ゼロってことは、まずあり得ません。前述のように、家ではしなかったかも知れませんが、学校や塾の自習室の利用などで対処していたのかも知れません。そこには触れていません。事実、家に「帰ったら」勉強していない事実があるかも知れません。

 成功談は怖いと、以前の読み物でもお話ししてきました。成功者と全く同じ生き方をしているわけではないからです。それならば、失敗談をもとにしたほうが良いのです。それだけは避けた方が良いという情報は、何よりも貴重です。しかし、そんな「失敗情報」は出回りません。そこが難しいところです。これも以前の読み物でお話ししたことですが、だから、受験屋は適切なアドバイスが可能なのです。失敗も見てきているのです。受験指導ができない補助教育機関に、子供を預けてはいけません。単に勉強を見てもらうだけならまだしも、進学を意識しているのであれば、受験屋の目を持った、失敗情報量も、成功情報量も蓄えている補助教育機関を利用すべきです。そして、その「失敗学」に対しては、都合良く無視するのではなく、必ず心に留めておくことです。成功談は参考程度に、娯楽として扱うべきです。

 「なるように、なるさ」という進学設計をされているご家庭は、ここまでお読み頂いていないと思います。日本を向いていらっしゃるご家庭は、ここまでお読みいただけたと信じています。最後に、ここまでお読み頂いたご家庭には「難関校」といわれる学校は「難関」なのだ、という当たり前のことをご確認いただければ、と思います。計算と漢字がチョロっとできて、Yes・Noで答えられるような会話がチョロっとできて、難関校に引き取ってもらえるとは、到底思えないでしょう?難関校の経営者になったと思ってください。今後、子供の数が減り、魅力のない学校は受験してもらえなくなる。今までの伝統を守り、良い生徒が良い生徒を呼ぶ。海外からの受験生に期待していることはリーダーシップ。そして条件の悪い海外で苦労したときに身につけた根性。これが学校が生き残る企業戦略です。

 「うーん、うちの子はシャイだし、成績もパっとしないし、取り柄もないしなあ」「だからせめて海外生活を貴重な体験にしようと思ってきたのだけどな」と考えてきたご家庭は、何かが違うとご理解いただけたのではないでしょうか。

 長い長い過程を飛ばして、ある一面だけ見ていると、過ったメッセージを読み取ってしまうことがあります。あれ?と思ったら、振り返ってみて下さい。親自身がこれまでに子供にしてきたこと。それが「すべて」だし、そこからが出発点でもあるということです。

 

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