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2008年10月号 「自立vs退行」

 

 少し前に「分数の計算も出来ない大学生」なんてバッシングされた時代がありました。学力低下問題といわれ、国の最高教育機関である大学が「やり玉」にあげられました。同じくらいだったでしょうか。各都道府県で起きる成人式の「二十歳の愚行」がクローズアップされましたね。ちょっと古い話ではありますが、2008年4月11日の産経新聞に東大の入学式の様子が出ていました。

 『東大の入学式が11日、東京都千代田区の日本武道館で開かれ、新入生の人数を大幅に上回る父母らで埋まった客席を前に、祝辞に立った建築家で特別栄誉教授の安藤忠雄さんが「親離れをしてほしい」と新入生、父母双方に自立を促す一幕があった。東大の入学式は毎年家族からの出席希望が多く、この日の会場も新入生約3200人の周囲を、約5300人の父母らが席を埋め尽くした。安藤さんは祝辞の中で「自己を確立しない限り独創心は生まれない」と強調。「自立した個人をつくるため親は子供を切り、子は親から離れてほしい」と訴えた。』

 この文章は、入学式に来る父兄を揶揄したわけではないでしょう。「入学してこれから」という意味でお話しされたんだろうと思います。たった1回の晴れ舞台なんですから、親だったら、行けるなら見に行きたいと思うのが普通。ましてや東大です。行きたいと思ったら行けば良い。このことを大前提として、今月は海外生活における、しかも『受験・進学』を念頭においた場合の「子供への関わり方」「親離れ」「子離れ」について、考えてみたいと思います。「正解」を提示するためのものではなく、私自身を含めて、「親が答えを決める」問題です。「数年後、自分がこうなってないか?」という観点で考えてみてください。

 塾の廊下にもよく掲示しています産経新聞からの記事です。2007/3/13 産経新聞 【溶けゆく日本人】から。。。

 『【過保護が生む堕落】「最高学府」が泣いている。終盤を迎えている大学入試。悲喜が混在した春の風物詩の裏では、受験生の親と大学の呆(あき)れるばかりの"格闘"が繰り広げられている。「教室が寒いと言っているので、室温を調節してください」芝浦工業大学(東京)人事課の山下修さんは、この時期特有の苦情に、もうすっかり慣れてしまったという。受験生の母親が入試の真っ最中に掛けてくる電話だ。受験生が休み時間に携帯電話で母親に知らせ、母親が大学に連絡してくる。昨年、同大学で実施した大学入試センター試験では、「窓の外で車のドアを閉める音がしたので気になった、と息子が言っている」という苦情が寄せられた。このクレームは、母親が高校の担任に報告し、担任が教頭に伝え、教頭が大学入試センターに連絡し、大学入試センターから大学に話がおりてきたという"一大騒動"だった。「試験会場で本人から『教室が暑い』などと意思表示があると、『しっかりした子だ』とすら感じます」。山下さんの言葉には、「諦観(ていかん)」そんな境地さえ漂う。「特別教室で試験を受けさせてやってくれないですか」複数の大学で職員を務めた女子栄養大学(東京)広報部長の染谷忠彦さんは、受験生の母親からそんな電話を受けたことがある。理由を耳にし仰天した。「うちの子は集団が苦手だから…」。むろん、断った。「一応心配になったので当日その受験生を見てみたんです。ピンピンしていましたよ」。あまりの過保護ぶりに染谷さんは苦笑するしかなかった。「最高学府」。確か大学はそう呼ばれていたはずだ。そのキャンパスライフにも、あらゆる局面で親が顔を出す。都内の理工系の大学では、5年ほど前から入学後の行事について、「ガイダンスは学生1人で参加してください」などと、パンフレットに記載するようにしている。「書いておかないといつまでも顔を出す」(大学関係者)のがその理由だ。履修ガイダンスに自ら出席し、「どの教授の講義が単位を取りやすいのでしょうか」と堂々と尋ねる母親の姿はもはや希有(けう)ではなくなった。「『どんなアルバイトがふさわしいか』『サークルには入れたほうがいいか』という質問もあります。全部自分で面倒を見ないと気が済まないのでしょうか」と女子栄養大の染谷さんは嘆く。この間、隣席で子供はじっと座ったままだ。大学事務室への親からの"理不尽な要求"は卒業するまで絶えることはない。留年した学生の親からの「なぜこうなる前に知らせてくれないのか」という注文。履修ミスをした学生の親からの「息子のために(履修を)やり直せないのか」という懇願。宿題のリポートを自宅に忘れた学生の親からの「ファクスするから子供に渡してほしい」との連絡。「風邪をひいて休むから教授に伝えてくれ」という依頼。すべて、大学関係者が実際に見聞きした例だ。そして、どうにもならないことを知ると、決まって吐く"捨てぜりふ"がある。「『高い学費を払っているのに』という言葉です」(染谷さん)。最高学府ならぬ「最高額府」その程度の認識なのだろう。もちろん、こんな親ばかりではない。だが、「行き過ぎたかかわり方をする親は確実に増えている」(芝浦工業大学の山下さん)というのが大学関係者の実感のようだ。そうした過保護の集大成ともいえるのが、就職活動。ここ10年で大学の合同就職セミナーに親が大挙して押し寄せるようになったという。「特に母親なのですが、企業担当者に自分の理想を蕩々(とうとう)と述べるのです。『この子には御社がふさわしい』とか、『ベンチャーはちょっと』とか」(中京地区の大学就職課関係者)。ここでも子供は行儀よく座ったままだ。そして、わが子の就職活動が難航すると、「がんばれ」と背を押すでも、尻を叩(たた)くわけでもない。親に向けた就職説明会を開いている「親向け就職ドットコム」の矢下茂雄さんは苦言を呈す。「就職浪人しても構わない、と逃げ道を与えるわけです。やりたいことが見つかるまでは面倒を見てやるとも言って、衣食住を与える。こういうときこそ厳しさが必要。優しさの意味をはき違えている」。こうした過度の庇護(ひご)のもとで育った"おとな子供"が、一人また一人と社会に巣立っていく。受け入れる企業で待ち受けるもの、それは、さらなる"喜劇"、そして"悲劇"だ。』

 廊下に掲示していたときも「熱心に」読まれている保護者の方がいらっしゃいました。読み物として、つまりは他人事として読みますか?笑っちゃいますか?でも、本当に笑っていられるのか?果たして「関係ないよ!」という話なのか?親自身は思っていなくても、実際は「なってしまった!」ってことだってあるわけです。

 週に数回塾に行くだけでは成績が上がらない時代です。家庭学習の質を向上させられるかが、成績向上の鍵。そのためには、親の時間を使い、子供に手をかけることになる。その結果、過保護になるかもしれない。そんな心配ありませんか?ある人は、だから自分のことは自分で考えるよう、自立のために、親が口出しをせず、子供に任せるべきなんだと言います。親としては手間がかからず、楽です。しかし、関わりすぎているという話の一方で、こんな記事がありました。これまたちょっと前になりますが、3月14日の毎日新聞です。

 『親子関係:子の悩み知る父3割4分の1「平日、顔見ない」内閣府調査。<薄れる関係>内閣府は3日、小中学生とその親を対象にした「低年齢少年の生活と意識に関する調査」の結果を発表した。父親の約4分の1が子どもとの平日の接触が「ほとんどない」と答え、中学生の約7割が進学や友人関係などで悩んでいたのに、悩みを知っている父親は約3割にとどまった。調査は昨年3月、全国の小学4年〜中学3年の男女3600人を対象に面接方式で実施し、2143人が回答(回収率59・5%)。答えた子どもの父母にも郵送回収方式で調査を行い、2734人から回答を得た。子どもに「悩みや心配」があるかを複数回答で聞いたところ、中学生では71%が何らかの悩み・心配を抱えていた。同じ質問をした直近の調査(95年)より15ポイント多く、悩みの内容は「勉学や進学」61%、次いで「友達や仲間」20%、「性格」19%などの順だった。一方、子どもの悩みを知っているかを親に尋ねると、母親は65%が「知っている」「まあ知っている」と答えたのに対し、父親は31%にとどまった。子どもとの平日の接触は、父母とも「1時間くらい」がそれぞれ24%、29%と最多だったが、「ほとんどない」は父親23%、母親4%と大きな差が出た。特に父親は00年の前回調査より9ポイント増加した。親子関係の希薄化について、内閣府の大塚幸寛参事官は、仕事優先の父親の姿勢に加え、パソコンや携帯電話の普及も影響しているのではないかと指摘している。調査では小学生の15%、中学生の52%が携帯電話を持っていた。』

 海外に暮らす日本人の多くのご家庭では、よく「日本にいるときより親子の絆が強くなった」と聞かれます。うーん。では、こうしたことは海外にいる子供達には無関係?本当?えっ、頭が混乱してきた!?確かにそうですね。

 手をかければ、過保護になる。でも、子供とかかわっておかないと、親子関係は希薄になり、いざ困ったときの信号を見過ごしてしますことになる。バランスが大切なことは、みなさんもお気づきでしょう。それを踏まえて、親は、子供と真正面から向き合うべきであると思うわけです。子供と向かい合う機会を自らがつくり、社会に出て行く準備として親子で真正面からぶつかり稽古をする。口先だけ出すのでは、子供達は見切ってしまう。かといって出し過ぎると「ボクはお父さんのロボット」という子供の完成。日本の勉強だって同じです。  勉強は多くの子供たちにとって、キライなものです。ましてや自分の意志で選択した訳じゃない海外生活で、二重苦を強いられている。でも、逃げられない。そうです!逃げられないんだよとハッキリさせているご家庭は、多くの場合が大丈夫なんですね。ぼわーーん、としているご家庭ほど何かしら問題を生じる。受験勉強は目標も設定しやすいし、結果がわかりやすい。なおかつ、能力に関係なく、努力が報われる部分も多々ある。だから、親子で盛り上がる「ネタ」にしやすい。「分からない!」という問題に対して、どう取り組むか。これが問題です。現地校の生活、つまりは英語を習得するときだって同じだったでしょう?日本に帰るなら、日本の勉強を軌道に乗せておくことも、まったく同じ。「算数のテスト、見ただけで萎縮しちゃう」って言っているだけなら、何も始まらない。逃げているだけ。逃がしているだけ。そして日本に帰って苦しむ。苦しむだけなら良いけれど、規格外の人間は「排除」されてしまう。要するにイジメの対象にも成りやすい。

 ただ、気をつけないといけないのは、1つめの記事にあった「過保護」の問題。これでは、子供の成長の妨げになってしまう。そうならないためにも、これまで何度も言ってきた「はじめに志望校ありき」ということが大切だと思うのです。大人だって「常識だから」「教養のために」「いつか役に立つことだから」なんてボワーーンとしているようでは、やる気なんて逆立ちしたって持てません。ハッキリとした、具体的なものを示す必要があるわけです。例えば、勉強について口出しするのは、中学卒業まで。生活態度について口出しするのは、高校卒業まで。といった具合に予め子供にも宣言してかかわることだと思うのです。「大学に行くまでは面倒を見てやるが、あとは自分でやっていきなさい!」とか、一定の年齢になったら、とりあえず家から出して生活させてみるといったことなどは、ゴールをあらかじめ定めているということでしょう。 

 そこまでにテクニックだけでなく、いかに「問題に取り組む姿勢」を伝えきれるか。何を通じて、そのことを子供に伝えるのか。それを子供に教えなければ、壁にぶつかったり、難しい問題にぶつかったら、子供は必ず「屁たれる」ものです。「ダメです・・」なんて言って。そして、自分の能力のせいにしたりする。

 でも、どんな親だって、精一杯やった上で、仮に能力的にダメであるなら、それは納得すると思うのです。違いますか?勉強もそうですが、完全燃焼すれば結果を素直に受け止めることができるものです。しかし、多くは、努力をしないで、結果を能力のせいにするから、文句も言いたくなるわけでしょう。じゃあ、子供とのかかわりの中で、過保護と自立のバランスをどう取るのか?中国新聞ウオッチからの引用です。

 『過日、テレビで将棋のNHK杯を見ていると、解説の青野照市九段が強さについて、独自の見解を述べていた。それを要約すると、卓球の福原愛は、既に1万6000時間以上の練習を積んでいる。将棋の場合は、まず基礎固めに1万時間の勉強が必要。羽生善治王位や森内俊之名人らは、早くからそのぐらいの勉強時間をクリアしてきたため強いのだ。(省略)』

 「基礎固めに1万時間」。これこそ、子供に問題を取り組む姿勢を教える時間とは考えられませんか。計算してみましょう。1日2時間で、1年で730時間、10年で7,300時間。1日3時間で、1年で1095時間です。10年では10,950時間です。ena的にいうと、小学校1年生からスタート。6歳から始まって、中3が終わって高校生になるときは16歳。まさに10年間の関わり。親に与えられた時間が1万時間。その中で、ゴールを決めて思いっきり子供にかかわる。ゴールの定めなき「かかわり」は、過保護になっていく。みなさんはいかがでしょう?

 中学受験、高校受験はもちろんそうですが、最近流行の公立中高一貫校の問題だって、「自分で考え」、「自分でなにかを見つけ出し」、「自分の意見」を書かせる問題にどんどんシフトしていっています。母ちゃんに携帯で伝えて、それを先生に言ってもらうようでは、勉強に関していえば、その時点で、振るい落とされてしまうような試験にテスト自体がなってきています。帰国生に対しても「自分で考え、答えを作っていく」という問題を出す学校も増えていますね。神奈川の進学校である○○学院中の英語の問題だって、正解は無いんです。自分で作るのですから。作文だって正解はありません。面接だって正解は無いでしょう?

 身の周りの、目の前にある「たいしたことのないこと」から、子供に、「問題に取り組む姿勢」を教えていく。これも大切なことです。寧ろ海外にいるからこそ、本当に大切なことになります。意識しなければ「春の七草」は体験できません。「中秋の名月」も「『ら』抜き言葉」なども意識しなければ、それまでのことです。ちょっと昔を思い出せば、こうしたことは実は、長屋の「名物ババア」や「一緒に遊んでくれてた兄ちゃん」たちが、体を張って教えてくれていたと思います。実に有益だったことなのかも知れません。それらは、海外にいる私たち「大人」は、意識して子供達に「教えて」いかなければなりません。周りの大人がやるしか、ないんです。学校では教わりません。近所の「ババア」も居ません。本に書いてあることであれば、それでも勉強できますが、そうではないものは、やるしかないんです。  海外にいて、親子の繋がりが物理的に堅く結びついているように見えても、本当に中身まで強く結びついているのか。後、自立していける子供の「土台」を作っているのか、それとも「海外での貴重な体験」程度の感覚で終わっているのか。さらには、「自分さえ良ければ良い」「今が良ければ、それで良い」という感覚で子供と接していれば、必ず子供は「退行」します。成人式で羽目を外しすぎる二十歳の若者を作り出してしまうことになります。

 今月は「教育論」的なものになってしまいましたが、決して大上段からお話ししているわけではありません。私も子育て中。偉そうなことは一つも言えません。受験屋は受験屋でしかありません。その受験屋が思うに、「自立」した生徒は進学した後も順調。当たり前です。自立していたのですから。反して「退行」してしまった子供は、たとえ受験を突破しても悩みます。悩み続けます。「ボクはお父さんがいなければ何もできません」と言いながら小さくなります。それで良いですか?

 受験で燃え尽きない生徒を育てたい。日本に帰ってからも、がんばり続けられる生徒を育てたい。がんばる子供を応援しますというのは、それも含めています。

 

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