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2010年10月号 「何を見るか」

 

 今回は小学校低学年を題材にした話です。もちろん、これまで通り海外に在住するご家庭であれば、学年問わず同じ視点で見ることが可能なはずです。「勉強で最も大切な道筋」や「親が子供のそばでなにを見るのか?」のテーマです。

 親は「勉強を教えなくて良い」という意味。これがご理解いただけるかもしれませんね。

 保護者会などで「例えば『なんで?』と聞いてください」というお話をさせて頂くことがあります。あるご家庭、ご兄弟ともに筑駒に進学されたご家庭の基本方針でした。お母さんは、お二人の勉強を、まさに文字通り「見る」のですが、ダイニングの机の上で、「何も分かっていないお母さんに教えて」と、子ども達を先生にして、家庭学習の濃度を高めていらっしゃったのです。  

 子供 「98÷17でちょうどいい数が5です」
 私  「5っていうのはどこから出るんですか?」
 子供 「(商が)9だと153になって98より大きくなって…次に8だと…」  

 低学年で割り算って!?と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、先取りの勉強に取り組んでいらっしゃるご家庭は、少なくありません。enaでも、クラスの様子によっては、相当先まで先取りしてしまうこともあります。ただ、問題は、その『先取り』について、ご家庭がどう考えるか、ということなのです。先取りの勉強をするということは、それを与える側がかなり気を遣い、神経を使って与えなければなりません。分数だって、計算のやり方を教えれば、小1だって出来ます。私の知り合いのご家庭で、小1の男の子が微積をやっていました。やり方さえ教われば、どんな子どもであっても、どこまででもできるわけです。  

 ところが、です。大事なことは、「意味するところ」までを理解していないのなら、素晴らしいとはなりません。小1開始時に「私、もう九九しっているの」といいながら、それが意味するところ、例えば文章問題で九九が利用できる部分が見つけられなければ、知っているだけでオシマイ。先取り学習では、その意味するところから入るからいいのであって、ただ上の学年の知識を与える「だけ」では良くないのです。

 現地校の勉強だって、基本は先取りです。「KEEP THEM BUSY」がテーマであるアメリカの学習は、もちろんドリル学習も多々ありますが、出来るなら先に行けということになります。足踏みする必要はない。だから出来る子ども達はまとめられて、次のレベルのクラスへ。。。公立でさえこういうペースなのだから、私立進学校など、本当に凄い速さで進みます。え?今通っている現地校では、そうじゃないって?それは「英語、できないし。すぐに帰るんでしょ?」と見られているからです。そのレベルは、低いです。学校・担任から期待されていないってことです。

 先取りの考え方は、日本の私立進学校や進学塾でも同じです。完全理解しているなら、先に進めば良いのです。でも、これからもどんどん先取り学習をしていくのであれば、横についている大人は、もっともっと。。。  

 子供がどうやっているか???
 本当に理解しているか???
 頭の中はどうなっているか???
 手の動きはどうか???
 目の動きはどうか???  

 という部分に目を光らせないといけません。しっかり観察し、客観的に判断していかなければなりません。

 薄っぺらい知識を持つ人間は、きっちり学習する人間にとって、ライバルになりません。それは、あっという間に追いつかれて、おいて行かれるからです。だから、先取りをさせた大人は考えなければいけないし、子どもをしっかり見ておかないといけない。

 我が子に与えるべき材料、情報は最高のものでありたいと思うのが親の常だと思います。ただ、ひとつ、考えて頂きたいのです。材料や情報は、お金を出すことで高品質のものを選べます。でも、子どもの側につく大人は、限られます。お金を出しても出さなくても、数は限られてしまいます。ましてや海外に住む子ども達で、彼らの周りにつく日本人の大人は、非常に限られるわけです。

 例えば先の「98÷17」を説明した子どものことを考えてみてください。子どもは一生懸命、自分の言葉で説明しようとした。子どもはベストパフォーマンスを目の前で見せてくれた。ならば、聞き手の大人も、子どもにベストパフォーマンスで応えてほしい。この場合のベストパフォーマンスとは、「こんな感じの説明でよいのか?」というレベルではなく、大人の目から子どもをきちんと、正確に見て、大人がとことん考えることです。  

 今、子どもがしている説明がベストなのか? 
 もっといい方法はないのか? 
 もっと違う誘導ができないか?   

 では、このときの子どもの思考回路は、いったいどうなっていたのでしょうか?「17×5=85」が98に一番近いという説明なのでしょうか?大人は、特に意識せず、商の見当がついてしまうため、説明が出来ないことがあります。算数が得意なお父さんが、算数を苦手とする子どもの気持ちが分からないのと似ています。

 子どもたちの解き方を見ていると、闇雲に商を立てている子どももいます。そうではない子どももいます。

 計算は、慣れの部分も大きい。でも、意味が分かったあとの慣れと、分かっていない機械的作業とは、全く異なるものなのです。23÷5や123÷5といった2ケタ÷1ケタ、3ケタ÷1ケタならスラスラできるけど、981÷17のような3ケタ÷2ケタの計算になると、すんなりいかなくなる子どもも出てきます。それが、分かった・分かっていないというレベル差です。

 では、分かろうとした子どもに、大人はどう接するべきか。やっとのことで、「98÷17の商は5」と出した子どもに対して、「どうして5になったの?」「なぜ、そうなるの?」と、一番使って欲しい言葉を使ってあげる。この言葉は、やり方が合っているかを確かめるためでもありますが、『言葉で説明させることで、頭を整理させる』という意味です。このことこそが、この言葉を使う一番の目的です。気をつけて欲しいのは、「なんで〜!?」みたいにあまりに半信半疑な聞き方をしないように注意すること。こういう何気ない大人の態度に子どもたちは不安になり、せっかく答えまで導けた解法もガラガラガラと崩れて去ってしまうことがあります。

 さて、「98÷17の商は5」と答えた子どもに対して、「なぜ、そうなるの?」と尋ねてからの続きがあります。  

 子供「98÷17でちょうど良い数が5です」
 私 「5っていうのはどこから出るんですか?」
 子供「(商が)9だと153になって98より大きくなって…次に8だと…」  

 一生懸命答えている様子が目に浮かびます。順番に商を立てていって、大きいので順に9から下りていって、とうとう「5」を見つけたんだ!そういうことです。周りで見ている大人も、ちょっと感動です。これは勉強をする過程において、非常に大事な通過点です。よく「面倒だ」といって、この部分をカットしてしまう子ども、大人がいます。中学生の「場合の数」でも、書けば良いのに「面倒」といって書かない。5年生の算数文章題であっても、「線分図」を書かない。そういう子ども達が、どうなっていくか。想像に難くないですね。

 「ちゃんと、頭が整理されてるな!」と確認できるまで作業を続けることは、後々、その作業をした意味が深くなるわけです。簡単に言えば思考訓練をしたということです。訓練しなかった子どもは、入試問題のひっかけには対応できない。日本の入試問題は難しい。落とすためのテストです。整数の計算問題は出来ても、整数・小数・分数の混合計算は出来ない。基本問題は出来るけど、入試問題には取り組めない。こうした子ども達は、思考訓練が中途半端な状態であるということです。彼らは、上手い指導者が上手に訓練させれば伸びますが、下手な指導者のもとで過ごせば、自学自習は未完成で終わり、近い将来必ず崩壊します。

 例えば、上記の場合でしたら、さらに「なぜ、9から確かめはじめたの?」と続けていくのが良いでしょう。なぜそうするのがいいのかというと、  

 「98÷17」については「17×5=85」が98に一番近いから  

 というのは、あくまでも結果にすぎません。説明を求めると子どもはすぐに結果だけを言おうとします。お父さん先生・お母さん先生に慣れてしまった子どもが「で、答えは?」となってしまう。しかし、大事なのは、繰り返しますが、そこに至ったプロセス、過程ですから、「どうしてそうしたの?」と聞いてやることで、頭の中でやったことをきちんと整理することがとてもとても重要なのです。近年の記述式問題の流行は、これらを見ようとしているわけです。来春の入試から高校募集を停止した「新宿の某進学校」も、帰国枠入試Bコースでさえも、思考過程を見ますとハッキリおっしゃっています。

 子どもの側で大人が勉強を見るというのは、子どもの頭の中を見るということであり、決して「教える」というのではないということなのです。テキストの解答をそっくり渡して、「自分で答え合わせしておきなさい」としてしまうと、たいていの子どもがコケてしまうのは、簡単に想像できますね。あくまでも基準は、子どもの頭の中、なのです。

 もし「大人だから特に意識せず、商の見当がついてしまうため、説明はできない」というのであれば、そんなときこそ一緒になって考えるべきです。あくまでも主人公は子ども達。「じゃあ、どこから始めようか?」「どこまでわかったの?」などと一緒に一歩ずつ歩いていくことは可能なはずです。私たちも職員室で、よくやる手段です。何も持たず、書かず、「で?」というだけ。大概の子どもは、「だから、これは、こうで。。。」と始めていき、そして最後には「あ、分かっちゃった」となります。大人が一緒に考えることで、子ども達自身は「思考訓練」により、ひとつずつ、自分自身で組み立てているのです。これを本当の意味で「自学・自習」といいます。これを、理想では5年生開始時までに、身につけさせたい。中学受験をする・しないに関わらず、5年生までに身につけさせたい。そうすることで、後、受験するにしても、中学生になったとしても、高校生になったとしても、子ども達自身が「やるべきこと」が見えるようになります。与えられないと出来ない、受け身の子どもでは、越えるべき壁は越せないでしょう。

 さらにどう深く掘り下げていくべきか?当然考えられるのは『もっと難しくなっても通用する考え方』について、です。98÷17ができたら、次にどんな問題を出すか?もちろん、988÷177でしょう。その次は、9888888÷1777777。

 「やり方は1つではないけれど、その中で1番良いやり方、考え方を子どもたちに身につけさせたい」ということは、入試だけではなく、その後の学習にも大きな影響を残すはずです。1から確かめても、9から確かめてもちゃんと答えがでれば、そのやり方は正解です。それがまさに大事な第1歩。その第1歩を踏み出したあと、今度は「もっと難しくなっても通用する考え方」に進む。割り算の場合でいえば、次の1歩は、既におわかりですね。「98÷17」の計算を「98」は「100」、「17」は「20」と置き換えてみて、「100÷20=5」を暗算でやって、「5ならどうか?」といった目安をつけて、やってみるやり方。ここにつながっていくわけです。現地校などでも、こういう習い方をしていると思います。しかし、先取り学習で「簡単なやり方」を知る前に、自分でどうやってやったら答えが出るかを考えてみた。議論してみた。その過程を経て、「簡単なやり方」を教わるのと、いきなり教わるのでは、意味が全然違ってきます。私たちが小学生に方程式を使わないのも、こういうところに理由があるわけです。思考訓練させたいから、ということです。時間がかかっても、誰でもできるやり方でやってみる。その上で、「もっと難しくなっても通用する考え方」に進む。勉強で最も大切な道筋です。これをやってこそ、先取り学習の意味も出てくる。そして、このやり方をしっかり身につけておけば、例えば、ケタ数が増えたとしても使えるわけです。988÷177だって、9888888÷1777777だって、98÷17と同じやり方でできるよ、ということなんです。

 別に、周りの大人が1番良いやり方を知っておく必要なんてありません。子どもたちと一緒に考えていけば良いのです。随分前に頭のどこかにしまってあるはずのものや大人になったからできる発想などを頭を振り絞って考えてみる。そのときに、大人の方が一歩踏み込んで「もっと難しくなっても通用する考え方」を意識して考えてみる。きっと、新しい発見があって、大人の方がおもしろく感じてしまうかもしれません。NYの高校部の先生が、お受験準備をしている年長さんに、どうやって物理を教えるか、頭をひねっていたことがありました。使える常識は年長さん。使える言葉も年長さん。さて、どこから何をはめるか。ワクワクしたそうです。

 子どもの勉強を側で見ている親が勉強の魅力にハマってしまうことがよくありますが、それはこうした発見を次々としてしまうことからハマっていくといわれています。既に、そういう経験をされていらっしゃるお父さん・お母さんがいらっしゃるのではないですか?特に子どもとの距離が近い、海外にいらっしゃるご家庭では、よく見られることです。

 大人は子どもに「よく考えなさい!」と言います。これから私たち大人も、その言葉を飲み込んで自分自身に言ってみましょう。「よく考えないと!」って。

 

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