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2006年9月号 「塾からの塾批判?!」

■塾と生徒との間にある常識■  

 「塾の授業は面白いし、分かりやすい!」。当然、こういわれると嬉しいです。例えば卒業生が遊びに来てくれて、ついでに自習していく時に、「やっぱり、センセ、教えるの上手いよねえ〜」なんて言われると、流石の私も調子に乗っちゃいます。でも、でもですね。私の気持ちとしては「まだまだ、毎日の修行が足りない」と思っているんですよ。え?違いますって。生徒に対してじゃなくて、自分自身に対してです。もっと工夫された教え方はないものかなど、毎日が試行錯誤です。そして、子ども達から教えてもらうことも多々あります。私も、毎日が勉強中なのです。

 ふと疑問に思ったこと。子ども達や保護者が欲していることって、何だろう?冷静に考えてみました。消費者(生徒側)の立場に立って考えてみました。そうすると、勉強には不思議な「常識」があるということに気がつきました。それは『教える側(先生)は、責任を問われない』ということでした。例えばこういうことです。ある塾の授業は「よくわかる」と評価されています。授業料を払う親としても、こどもと同じです。たいていの場合、文句どころか「先生の説明はわかりやすいと喜んでいます」とお礼を言われたりします。模擬試験の偏差値が上らなくても、「面白い授業に満足している」ということで、偏差値が上がらないことに対してのクレームはほとんど言われたことはありませんでした。もちろん、何もおっしゃらずに辞めていく生徒もいました。でもそれは圧倒的に少数派でした。  

■消費者の正しい目■

 このとき、成績が上がらない原因・責任の矛先は誰に向けられるんでしょうか?こうしたご家庭ではきっと「うちの子どもがしっかりしていないから」とされているのではないでしょうか。なんだか子ども達が可愛そうです。「あの子は塾に通って満足して、帰国枠で○○校に受かったのよね」なんて噂があれば尚更、成績が上がらないダメなのは我が子のせいとレッテルを貼ってしまいがち。

 例えばこれが、日本国内で個別授業専門塾だとしましょう。先生との相性が悪い場合、担当変更のクレームを出しますよね。それでも不満が残る場合、例えばカリキュラムに不満がある場合も考えられます。無駄が多いとか、練習量が足りないとかです。こういう場合は、まず、責任者の先生と話をしますよね。そして改善の要求をしたりするわけです。その約束が守られないとき、初めて辞めるという行動になるわけです。(それ以前に辞めるという行動に走るのはジプシーと言われますと、過去の読み物でお話ししたことがあります。)こうしたことは、消費者の当然の権利です。

 この地域で「でも、選択肢がないから」と後ろ向きの姿勢で塾に通う・通わせるご家庭も中には見られますが、それは間違いです。補習校や塾の他にも家庭教師や通信教育、お父さん・お母さん先生という選択肢もあるじゃないですか。塾の選択肢は少ないかも知れません。でも、「帰国する」という選択肢も入れられるなら、ご帰国先の日本には、それこそ数多の塾が乱立しているでしょう?お父さんには申し訳ないけれど、子ども達の進学のためには単身赴任も我慢して頂く。そこまで腹をくくったご家庭には、選択肢は実は多いのです。

 では、塾は楽しいと言っている。でも、成績が上がっていないという生徒の場合、どう考えますか?「おもしろい」も「わかりやすい」も大切なことです。私たちも大事にしたいとは思います。でもハッキリさせておかないといけないのは、「何のために塾に行ってるのか?」ということです。わかりやすい説明は、成績が上がるための序章。まだ本題には入っていないということです。本題とは、つまり「成績が上げる」ということです。こうしたまやかしに踊らされてはイケマセン。学校だって同じ。学校は学舎です。それを「友達作りのため」「いろんな経験をするところ」ということ「だけ」を全面に出している学校は、本来の学校の意義を失っているとしか思えません。消費者の目は厳しい時代です。こうしたことは見抜かれてしまいます。事実、「その他」のことばかりを追求した私立学校は、不人気になっているところが多いようです。

■復習中心の意味■

 私たちの、子ども達に接する際の基本線は、何だと思いますか?例えばこういうところです。説明をしたあと、「わかったか?」と聞いて、「わかった!」って子供が言っても、これだけでは終わらないということです。つまり、基本線は「私たちは生徒を信用していない」ということです。特に、子どもが「言葉」で言う「わかった」は全く信用していないのです。

 「じゃあ、この問題、解いてみろ」。ここで初めて子ども達の理解度がチェックできます。類題は選ばずに、全く同じ問題を生徒に解かしてみます。なぜなら、

 「わかった」=「説明はわかった」であり、

 「わかった」=「解けるようになった」では無いからです。

 案の定、同じ問題を解かしても、途中で解き方がわからなくなる生徒がいます。例えば翌週に「全く同じ問題」を小テストしても、同じ問題とさえも気がつかず、壊滅状態になる生徒も多々居ます。ドリルというのは、何も計算と漢字だけに使われている形式ではないのです。読解問題でも、過去問でさえも、こうした「繰り返しの訓練」が有効なのです。そしてそれが完成していて初めて、子ども達の成績が向上するということです。よって復習中心の勉強習慣が大切だと何度もお話ししてきているわけです。  

■勘違いな良い塾・良い先生■

 そうした事実を否定し、「うちの子は同じ問題をやると飽きちゃうんです」と復習ベースの勉強を否定したらどうなるでしょうか。ものすごい速さで、ただただ先生が一人で授業をしているという塾は、どうなのでしょうか。カリスマ講師が、さも「話を聞いていれば成績が上がる」かのように授業をします。「うちの校舎には、○○の参考書を執筆されている○○先生が来てくださっています」と、カリスマ講師を広告塔にします。

 いずれの場合も、カリキュラム消化だけに注目し、とりあえず学年で学習すべき単元は終わるでしょうけれど、たいていの子ども達には何も残っていません。自学・自習が未完成の子どもであれば、全く何も残りません。その証拠は、模擬試験の成績で一目瞭然です。(だから塾に通う生徒であれば、通っている意味を確認するためにも模擬試験は定期的に受験すべきです。悪い成績を取ったらショックを受けるからと消極的になっていては、管理者責任逃避と同じ。親の方から気持ちを入れ替えてください。)

 ノートも取らせず、講師がしゃべっているだけの授業など、まったくもって無駄。子どもがおもしろがって聞いていても、それは娯楽でしかないです。ぜなら、その理解した「と思いこもうとしている」説明は、すぐに忘れるからです。連続テレビドラマと同じく、先週の内容のうち、20%程度は覚えているけど、それ以上は自信がない。そして2週間もすれば、ほとんど忘れている。人間ですから、忘れて当然。それを防止するための工夫をしていないなら、その塾は辞めて当然のものです。  

■哀しい事実■

 こうした現実に対して、家庭学習のヒントがあります。この状況で親は何をすべきでしょうか?答えは2つです。  

1)講師に「説明」だけでなく、「解かす」までやるようお願いする  

2)親が、子供に「解かす」をさせ、できるかを確認する

 これ以外に答えはありません。当然のことです。子どもたち自身が「解く」という行動を取らなければ、成績アップは絶対にできません。覚えて、それを解いて、実際に解答を作っていくプロセスを踏んでいかなければ、全ては机上の空論ということです。

 このとき、家庭学習において危険な「勘違い」があります。お父さん先生・お母さん先生が、説明に力を入れすぎて、解きすぎてしまうということ。自分が悦に浸ってしまって、「な、わかっただろ?」と得意気になってしまうこと。こうした事実です。子どもにやらせなければ、出来るようにはなりません。どんなに良い参考書を見ても、読んでも、実際に自分で解かなければ出来るようにはなりません。スポーツのルールブックを熟読しても、実際にやらなければ出来ないのと同じこと。

 海外の子ども達は特に、このあたりのことを逆手にとっているようで「わからないんだから聞けばいい」と上手に質問に持ってきます。「お母さん、これ分からないんだけど」。当然、お母さん先生の出番です。ところがコーチングではなく、子どもの代わりにお母さん先生が走ってしまうんです。そしてお母さんが息せき切ってゴールしたところで、「ありがとう!」と、結果だけノートに書いて、今日の勉強はオシマイ。子どもにとっては「ちゃあんと宿題が終わった」となり、お母さん先生としても「うーん、上手に説明できたし、ヤツの勉強時間もそれなりにあっただろうし」と満足するわけです。ところが、この繰り返しをしているご家庭で、成績向上されたご家庭は皆無です。そりゃあ、そうでしょう。子ども本人が、何一つやっていないのですから。こういう状態が何年も続いた生徒を、帰国が迫ってきたからと塾に連れてきても、全く持って無駄。個別授業形式で対応したとしても、ほとんど成績は伸びません。強烈な言い方をすれば「既に終わっている」ということなのです。「塾講師の分際で、けしからん発言だ」「成績を伸ばすのが塾の仕事だろう!逃げるのか!」とお叱りを受けそうですが、事実は事実です。世の中の塾は、当然企業ですから、「終わっている子ども」であっても、それには目をつぶって「大丈夫、伸ばしますよ」とリップサービスしてくれることも多々あります。それを鵜呑みにして、お金の無駄遣いをしたご家庭がどのくらいあるか。試しに3ケ月、塾の言うとおりにやってみてください。それで成績が変わったら、塾との相性は抜群の証拠。既に終わっていたはずの身体がムクムクと復活し、勢いに乗れたということです。その塾を信頼し、塾の言うとおりに勉強すればいい。でも、多くは水平飛行か下降線か、です。それが事実です。  

■落とし穴■

 私たちが発信している情報の至る所に書いてありますが、子ども達は必ず「理解するレベル」には達することが出来ます。それに必要な時間に個人差があるだけで、誰もが必ず到達できるものです。ところが「定着」とか「応用」ということに関しては、訓練していかなければ身に付かないわけです。5年生までに自学・自習の習慣が完成している子どもは、講義で扱われたものを、実践してみようとするわけです。夏期講習の授業を受け、そこで講師が説明してくれた方法を、帰宅後自分でやってみようとするわけです。これ無くして、塾に通う意味はありません。授業に出かけて、ああ疲れたと帰ってきただけでは、全く持って成績は向上しないということ。「理解した」→「解けるようになる」を徹底することが肝心なのです。

 「え〜、そこまでしてくれなくて、何のために塾に通わせているの?」と、ご不満を持たれるかも知れません。日本国内の「面倒見の良い塾」というのは、解けるようになるまで面倒を見てくれるんじゃないのか?!と思われるご家庭もあるのではないでしょうか。  

■詐欺ではありませんが。。。■

 「わかるまで、徹底指導します!」。よく聞くキャッチコピーです。このキャッチコピーは、よく言えば、「理解するまでしっかり指導します!」ということです。でも意地悪く言うと、「理解したというレベルで、指導は終わりにします」と『宣言』しているとも取れるのです。しかも、塾は更に「言い訳」を準備しているのです。十八番は、「カリキュラムの都合上、そこまでは無理です」という名台詞。この単元の偏差値を上げるまで面倒を見てくださいと具体的に言っても、こう切り替えされるわけです。「多少言い方が変わったとしても、この手の問題はクリアできるように面倒見てください」といえば、こういうのもあります。「それでは受験に間に合いません」。どうですか?こういわれてもまだ「わかるまで教えてください」と言えますか?そして例え個別授業形式であっても、結局は塾の速射砲授業に乗せられた我が子は、面白いから塾を辞める気など全く感じず、刻一刻と「既に終わっている状態」へ近づいていくのです。ああ、怖い。だから私たちは何度も言っているのです。「無責任な大丈夫という発言にだまされないで!」「子ども達を犠牲者にしないで!」「親が気持ちいいと感じるリップサービスのために、子ども達がダメになっては本末転倒です!」と。  

■いつものことではありますが■

 塾が塾批判をしては、自己矛盾を引き起こします。塾が塾のことを『必要悪』と言ってしまったら、自分の存在を否定することになります。それでもこうして書いてしまうのは、あまりにも犠牲者が多いからです。誰が言ったのか、どこから聞いてきたのか、余りにも無責任な発言・指導のために、犠牲となってしまった子どもが後を絶たないからです。海外にいると、どうしても子どもの進学のことが不安材料になります。そして、不安なことに対して「つけこむ」悪徳業者が存在することも事実です。当の本人が悪徳と自覚していないからこそ、余計にたちが悪い。是非、是非、消費者の正しい目を持ってください。これ以上、犠牲者を見たくはないのです。ただ、それだけです。

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