Make your own free website on Tripod.com

まえのページにもどる> <もくじにもどる

2008年9月号 「再始動」

 

■現地校が始まりました■  

 アメリカでは新学期。夏前に渡米されたご家庭も、ここからが本格的に始まるわけです。いままでは、観光気分もあったかも知れませんね。でも、ここからが頑張りどころ。ESLであっても、慣れるまでには時間がかかるかも知れません。焦らず、あわてず、しっかり歩いていって下さいね。

 アメリカ生活に慣れた諸君!夏休みはどうだったかな?日本に行った?楽しんできたかな?旅行に行った?サマーキャンプに参加した?充実した夏を過ごしたのかな?何より、何より。さてさて、それでは皆さんの中で、そろそろ本帰国かな、という人はいますか?受験する?それとも編入?復学?まだ義務教育の範囲だから、別に準備はしない?いろいろでしょうね。だからこそ、例えばこういうケースを想像してみてください。  

■離日直前・渡米直後■

 58くらいあった算数の偏差値が54くらいに下がった。アメリカ行きが決まって家族がドタバタしていて、勉強に身が入らなかった。お父さんは「それより英語の準備が大事」というし、お母さんは生活の立ち上げのことで頭が一杯。とりあえず塾にはギリギリまで通っていたけど、どんどん分からなくなった。

 思い切って成績が下がっちゃえば慌てたかも知れないけど、ぎりぎりクラス落ちするほど悪くない中途半端な成績だったから、のほほーんとしちゃった。塾の面談で「帰国枠って楽勝なんでしょ?だったら良いじゃん」といわれたから、まあ良いかと思っていた。

 アメリカに来て、兎に角毎日が忙しかった。なんだか良く分からないうちに一日が終わって、良く分からないうちに1週間が過ぎちゃった。家庭教師の先生が来て英語を教えてくれるけど、わかるような、わからないような。まあ、それなりに「返事」はできるようになったけど、だからって考えていること全てが英語で言えるわけでもなく、結構ストレスだな。それでも「がんばれ、がんばれ」ってみんながいうから、文句も言わずやってきた。でも、疲れたなあ。

 そう思っていたら、「日本の勉強もやれ」っていわれた。帰国を考えるとやらなきゃいけないんだって。なんだって?!まったく。。。  

■現状分析してみましょ!■

 例えば日本にいても、塾に通っていてもいなくても、成績が下がってきたら「現状分析」することが肝心ですね。成績が下がったからといって、いきなり塾替えをしたり、問題集を買い込んだりするのは考え物です。ひとつずつ「なんでだろう?」って考えていくことが重要です。例えば。。。

 自信喪失?何故なんだろう?やる気がでない?何故なんだろう?補習校の先生への不信感を持った?何故なんだろう?この状況で、次に何をすべきかについて考えていきましょう。

 ちょうど現地校が始まるというタイミングです。また『秋=入試直前』ということでもあります。例えば補助教育機関(補習校・塾・家庭教師・通信教育などなど)選びが関わりますね。一緒に考えてみてください。

 まず、成績不振・水平線の場合、はっきり言えることがあります。それは「何かを変えなければ変わらない」ということです。今までのやり方で成績が上向きであれば、何一つ変える必要がありません。ところがそうでは無い場合、勉強部屋などの環境から使用する問題集まで、何処に原因があるのか分析する必要があります。順番に確認していきましょう。  

(ア)補習校・塾・家庭教師・通信教育に問題はないのか?  

 「こじんまりと目が行き届く」と考えたから、その補助教育機関を利用すると考えた。でも違った。現状はどうであるか。分析してみましょう。観察してみましょう。学級崩壊。目的意識の違う生徒。大声を出さないと始動できない講師。テキストも求めているレベルとは乖離している。ただただ問題集をやらせるだけ。子供が懐いていない。カリキュラム消化だけに追われる。達成感がない。

 次にベクトルを親に向けてみましょう。その補助教育機関を選択した理由を思い出してください。責任者、または担当との間、広告や前任者からの紹介で、

 「しっかり面倒をみていきます」  「何かあったときは、○○まで連絡するように」

 といった具体的な確認がなされていたかどうか?よくあるのが、例えば、こじんまりと「少人数」という理由から、親が勝手に「面倒見の良い塾である」と判断してしまうこと。前任者が「よい」といっていたから。そういうことはなかったのでしょうか?

 もし、そうだったとすると最初の補助教育機関選びが間違っていることになります。「目の行き届く塾」ではなかったわけです。そう結論づけるのであれば別の補助教育機関への「転塾」を検討すべきです。補助教育機関の問題なのか、それとも最初の親の見立ての「甘さ」の問題なのか、ここをまず明確にする。

 極端な話、「わからないことがあれば、質問にくるように!」なんて先生から頼もしい言葉が聞けたからって安心してはいけないのです。なぜなら、授業前に質問しようといくと、先生は他の授業に入っていたなんてことだってあります。結局質問ができない。朝から夕方まで出ずっぱりの先生。他の曜日に質問に行こうと思っても閉まっている。かつての通信教育では、質問の返答が1ケ月遅れということもありました。そんなこともあります。(enaは自習質問は何時でも可能です。FAXやeメールでも対応しています。)こういう「付加価値」については、是非「利用開始前」に詰めておいてください。

 では、塾に問題がないのであれば、次に考えるべきは。。。  

(イ)先生に問題はないのか?  

 学校の先生であれば、そう簡単にモンクを告げるわけにはいきませんね。でも補助教育機関は別。自己チューな発言は巷で流行の「モンスターペアレント」と扱われてしまいますが、きちんとした分析のもとに「これは???」となったら、まずは先生に相談することから始めましょう。特に先生への「不信感」が原因という場合には、子供へのストレスは尋常ではありませんから、早急に対処してあげたいものです。「モンスターペアレント」にならないための一工夫。一呼吸おいて考えてみてください。それは「補助教育機関を変えたら、成績は上がるのか?」ということです。これを考えなければイケマセン。つまり、これまでも同じような扱いをされてきた、ということがあるならば問題は我が子にある可能性が高いわけです。例えば。。。  

・ 算数の偏差値が58→54くらいに下がった  

・ 同じクラスには65くらいの子たちがいる

 ここでは、先生との相性は無視して、事実だけで考えてみましょう。これらが事実としてあるならば、授業の内容をしっかり聞き、家庭学習をしっかりすれば偏差値65はとれる内容になっているということが分かります。それを複数の同級生が証明している。我が子にはあわないのかも知れません。ということは、担当の先生の「授業の質」には問題がないということにもなります。もし、そうだとすれば、問題は「授業の受け方」や「家庭学習のやり方」が問題なのかもしれないのです。ホントに悪い先生もいます!どうしようもない教材もあれば、適当にしか書いてくれない添削もあります。確かにいます!確かにあります!でも、こういう問題は、客観的に、先生だけでなく、自分たち親子にも必ずベクトルを向けて、考えることを忘れてはいけません!

 もし、塾の授業に問題がなく、「授業の受け方」や「家庭学習のやり方」に問題があったとすれば、それは「補助教育機関」の問題ではないですから。すでに補助教育機関を利用しようとしたときに考えた目的が、最初の段階で「かけ違い」を起こしている可能性もあります。そうなると、その負担は子供にかかってしまう。ずっとずっとお話ししてきた「犠牲者」を作り出してしまうこと必至です。

 だからこそ、「補助教育機関」と「家庭」の両方に目を向ける必要性が絶対にあるわけです。  

■アメリカナイズされすぎて■

 アメリカ生活に慣れてきた。それは大事なことです。余裕がなければ日本の勉強まで手が回りません。当然です。要領の良い、器用な子供であれば同時進行も可能ですが、滅多にいません。親の期待を目一杯背負って、背負いきれず潰れてしまった子供を何人も見ました。

 ここで「アメリカ生活に慣れた」という子供・ご家庭に対して、気になることがあります。例えば、こんなことを言われたことがありませんか?

 「授業中の質問は、内容のレベルが低い」

 聞くは一時の恥。聞かずは一生の恥。たしかに。でもね。話を聞いていないから質問することって、どうなんでしょうか?マニュアルに書いてあることを聞く必要があるのでしょうか?「じゃすと ちぇっきんぐ」とは言いますが、そのために貴重な授業時間が犠牲になる必要があるのでしょうか?

 補助教育機関では、もちろん個人差がありますが、授業中に質問をされることを嫌う先生は多くいます。理由は簡単。なぜなら、授業の妨げになるからです。これは誤解を招くかもしれません。予め断りを入れておきます。子供からの非常に良い質問もあります。しかし、「それは今から説明するの!」という質問も実に多く発せられます。特に海外生活(現地校生活、といったほうが的確です)に慣れてきた子供達は何でもかんでも聞く習性・発言する習性が身に付きます。低学年に多いですね。それにひとつひとつ付き合っていたら、授業は全く進みません。例えばこうです。。。

 足し算の文章問題をやりはじめ、リンゴの絵を描き始める。すかさずAちゃんが手を挙げて「まえにお爺ちゃんちにいったときに、リンゴを食べました」と宣ふ。すかさずBくんが「ぼくはバナナが好き」と。反撃でCちゃんが挙手して「せんせい、私足し算できるの。見て」。。。

 これが低学年の大袈裟な例です。お受験準備などで、大人に対しての話の聞き方・話し方などを訓練してきた子供であればあまり見られない。でもアメリカ生活で、「ああ、こんなふうにしても良いのか」と思ってしまう。積極的に会話に参加すること自体が、例えばESLでは評価されるからです。そこで勘違い・混乱が起こってしまう。これを考えると、使い分けができない子供であれば、混乱をしないような土台作りがまず必要であるというわけです。躾、という言葉で簡単に表現したくはありませんが、簡単に言えば、そういうことなのでしょう。教わるものと教えるものの立場を理解すること。これは社会に出ても必要なことなのではないでしょうか?

 私は基本的に授業中の質問は受け付けません。enaの先生のたいていの場合、「それは今から説明するの!」となるはず。先生の説明を一旦飲み込んで、その上での質問なのかどうか?それを子供が実行しているのかどうか。その見極めが大事。親に持ってくる質問や、家庭学習の仕方から分析を始めて下さい。そして、例えば補助教育機関で「授業見学」が可能であれば、子供に「見ていることがバレないように」そっと覗いてみて下さい。当然ですが、子供に対して「内容のレベルが低い」と直接指摘する先生は『どうか』と思います。アメリカ生活が長くなり、慣れてきて、日ごとにアメリカナイズされてきたなと感じてきたのならなおのこと、お子さんの授業態度について、もしくは質問内容について、確認しておく必要があると思うのです。日本に帰るならば、特に。子供としては積極的に良いことをしているつもりでも、実は日本式の授業にとっては「妨げ」になってしまうこともある。(日本での学級崩壊も、何が悪いことなのか認識できない子供が原因。子供の持つ常識と先生の常識がかけ離れているのが原因です。これでは互いに不幸です。アメリカ生活という刺激が一つ加わった海外に暮らす子供にとっては、もっともっと気を付けてあげなければなりません。)

 さらに、先の「家庭学習」は、補助教育機関の授業についていくために十分になされているのか?現地校の宿題のごとく、結局日本の勉強も親が全てこなしている。親が教えているつもりであっても、実は子供は「答えを欲しているだけ」ということも多々あります。家庭学習の弱点、親が教えることの弱点でもあります。これらをクリアしているのかどうか。分析して下さい。

 これらについて考えた上で「問題ない!」と言えなければ、塾替え(家庭教師から切り替える・通信を始める)しても再び同じ問題が起こり、成績を上げることは厳しいのではないかと思うのです。

 問題点をわかりやすくするために、あえて補助教育機関の先生、または教材自体と子供との相性を無視して話しをしましたが、ただ単に相性が合わないということであれば、即刻環境を変えてあげるべきでしょう。また、求める授業レベルや子供の理解できる能力が噛み合っていないということであれば、続ける意味がありません。これまたすぐに環境を変えるべきでしょう。

 子供の意志とは無関係に海外まで連れてきてしまったこと。親が背負っている「負い目」かもしれません。それ故、至る所に「なんとかしたい」という気持ちが、日本にいるとき以上に強く出てしまうかも知れません。他でもない、親なのですから。

 でも受験は温情主義ではありません。帰国枠優遇措置が設けられている学校を受験するのなら逃げ道はあります。でも、本当に「優遇」してくれますか?勝手に「思いこんでいるだけ」かもしれません。今一度、志望する学校を、進路を確認して下さい。もしそこで、学科試験があるのなら、温情主義には限界があります。学科試験があるということは優劣があります。当然、成績上位者から合否が確定していきます。成績下位に該当する子供が逆転を狙うには、それ相応のものが必要です。客観的に証明が可能な「抜群の英語力」はありますか?最低でも州大会出場以上の記録がありますか。どれにも該当しない、ただ海外で生活した経験があるだけという「海外生」であるなら、優遇される時代は終わりました。その事実を受け入れて下さい。

 偏差値54をどうやって60以上にしていこうかという点に集中して頭を悩ませないといけない時期。それが受験学年の1年前。ここまで述べてきた点はキッチリ分析・検証しておかねば、必ずこれからもっとも大事な時期に大噴火するのは必定。だからこそ、しっかり分析・点検した上で、改めて、

授業についていく「学力」が足らないのか?  

授業についていく「姿勢」が足らないのか?

 も踏まえて、シビアに見極めた上で、対策をとるべきであることだけは忘れてはいけません。補助教育機関と家庭が一体になって初めて、海外にいる子供には高くて険しい受験の山に登る準備が整うのです。受験は、今も昔も、決して甘くはありません。学問に王道は無いのですから。

 

TOPへもどる