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2004年4月号 「警告っ!」
■警告・言う相手を考えて■
先生はご存じないでしょうが、現地校は大変なんですよ。宿題なんか毎日出て、それこそ真夜中まで親子で必死にやっているんです。どうにかこうにか、子どもが一人で学校生活を送れるようになったのは、本当につい最近のことなんです。この苦労、分かっていただけないでしょうねぇ。。。
はいはい。この手の切り出し、良く聞きます。私も海外勤務、10年ですからね。現地校の仕組みも研究させていただきましたよ。色々なご家庭を見させていただきましたしね。で?大変だとおっしゃることが、どうだとおっしゃりたいのですか?だから有名難関校に入れて欲しいとおっしゃるのでしょうか?まさか、ねぇ。
もし、日本の勉強をするにあたって支障が出てしまうほど、アメリカ生活(現地校の勉強を含めて)が負担になっているのであれば、親として考えなければならないでしょう?全日制日本人学校がない当地としては、教育環境を変えるということは「日本に帰る」ことにもなってしまいます。ホームスクールをしますか?いやいや、それができるお父様は、当地にはいらっしゃらないでしょう?当地のお父様は、本当にお忙しい方が大勢いらっしゃいますからね。
現地校に相談して、負担を少なくしてもらう方法があるじゃないかとおっしゃりたいのですか?いやいやお待ち下さい。3年程度の滞在期間の外国人生徒が多い当地で、その対応になれているはずの現地校(の、はず)です。教育効果を考えればこれ以上軽いものなど、ないはずなのです。それを軽くしてもらうということは、正直言って、現地校で得られるものなど皆無ということにもなりかねません。(実際、そうなるでしょう)
「だから、がんばっているんじゃないか!」そうでしょうね。わかります。でも、その感情をこちらに向けないでください。現地校での苦労を塾で話されても、無意味です。私たちに話されても、日本にある進学したい学校に話されても、結局、現地校での苦労を合格の要素にすることはできません。合格の要素になるのは「現地校で苦労して身につけたもの」です。苦労だけではダメなのです。見せることができる結果が必要なのです。これはどの学年においてもです。当然でしょ?誰だって、苦労はしていますからね。何十年も前から、海外生は苦労はしてきたんです。あなた方だけが苦労している訳じゃない。
もし、愚痴を聞いて欲しいのなら、相手を考えてください。決して、進学希望先や塾などに矛先を向けないでください。
■警告・目先のことしか見ていない人へ■
もし、アメリカの教育システムにおいて上の学年に進学していくのであれば、なにもこんな嫌味な文章など目にしなくて良いのです。現地校のことを一生懸命にしてください。少しでも良い成績を取ってください。ただただ、それだけです。このことは、ずーうっとお話ししてきました。
しかし、日本に進学するのであれば、進学するにふさわしい学力を身につけなければならないのに決まっているでしょう?現地校の勉強が大変だからといって、偏差値70の学校が「よーし、おまけだ!偏差値50でいれてあげるよっ!」といってくれるはず無いでしょう。だいたい、そんなに大変大変とおっしゃいますが、例えばESLも用意してくれないような強気の私立現地校(特に進学校)はもっと大変なんです。ご存じですか?お調べになったことはありますか?また、公立でもマグネットスクールといわれる「選抜式秀才校」も大変なんです。ご存じでしたか?ギフテッドコース程度は本来楽勝です。だってもともと好きなことのはずですからね。さらに、いっさいアドバンスしていないのであれば、ESL+α程度であれば、全然お話にならないくらいに楽勝のはずなのです。日本でもアメリカでも、所詮公立は公立なんです。その程度のことしかやっていません。子どもから「すっごく大変なんだよ!」と聞き、周囲から「適応するまでが大変」と聞かされ、目の前にある英語の宿題においては親子で辞書を引き引き、奮闘している。どんどん視野が狭くなり、凝り固まり、日々の生活に追われるからリサーチなんてしている暇もなく、そして最後には悲劇のヒーロー・ヒロインになった錯覚に陥る。「連れてきたのは親の都合なんだし」と自責の念にかられ、かわいそうかわいそうと我が子の宿題を手伝う。主人公は、いつのまにか子どもたちではなく親にすり替わっている。
適応するまでが大変なんだ!!と悲鳴を上げるご家庭に対しては、冷酷にこう言い放ってしまいます。「外国人だから大変なんです=数年で帰国するから甘く見てね」というのは現地校には通じるかも知れませんが、日本の学校には通じるはずがないでしょう?
事実、大学入試だって帰国枠冬の時代になってしまったじゃないですか。英会話ができる程度の英語力だけでは合格できなくなっているじゃないですか。誰もが上智や慶應には入れる分けないでしょう?小論と英語だけで合格できるって、誰に聞いたのですか?現地校に在籍している間は英語(SATやTOEFL)を勉強して、日本に帰ったら小論をやる。ええ、ええ。アメリカにいる間に日本語の力が落ちなかったら、その方法でも受かるところがあるかも知れませんね。でも、そんな高校生、当地で見たことありません。ましてや、ESLを卒業していない生徒が、SATやTOEFLでマトモなスコアをはじき出せるとは思えません。SATやTOEFLの得点で足切りをする慶應で必要なスコアがどのくらいか、ご存じですか?ESLに在籍したままで、北米からの受験者の中で勝ち残れると考えられますか?考えが甘すぎますよ。本当は、更に「統一試験離れ」が始まっていて、例えば早稲田などは当日の筆記試験重視だから、学部研究や常識を高める方が必要だというのに、当地にはいまだに「ウワサ」を信じ込む高校生しかいない。悲しい現実です。
中学入試だって、現地校の成績だけで合格できる学校など、1つもないじゃないですか。あの慶應湘南藤沢でさえも「様々な角度から判定します。現地での記録等は、その一つの要素となります。」というに過ぎません。誰が「現地校のスコアさえよければ合格できる」などといったのでしょうね。勘違いするご家庭がいまだに多くて、結局翻弄させられる生徒がかわいそうです。
高校入試はいうまでもないですよね。帰国枠のメリットが一番少ないと、どの情報源を見てみても書かれています。帰国枠が一番多い首都圏でさえも、現地校の成績のみで合格できると言及している学校はありません。合格の要素の一つにする、とまでいう学校でさえも1割強です。首都圏の帰国枠を設けている8割以上の学校や、地方の学校などは、一般の生徒と、同じ日に同じ問題を解かなければならないということが、海外に生活する生徒にとって、どれくらい負担になることかご存じですか?お分かりにならない?では、公立高校の入試問題をお調べ下さい。どの程度の知識が必要か、それでおわかりになるでしょう?
まだまだ海外において、塾などがない地域は沢山あります。しかしこれだけ通信技術が発達した現代です。海外にいながら、日本の受験情報を集めようと思ったら、ある程度は集められます。昔とは違って、よほど山奥の駐在にならない限り、インターネット経由で本を購入することは可能。日本から個人が取り寄せることも可能な時代です。これらのことは、すでに海外生を救済してあげる必要は薄れてきたということを意味します。事実、外務省にしても補習校の今後のあり方などを、模索しはじめています。帰国子女研究校の廃止や帰国子女受け入れ校と在日外国人対応校の統合などがあります。
そうしたことをご承知の上で、今のことしかやらないのですか?それとも何か他に理由がおありなのでしょうか???
■警告・現実逃避■
「そんなこといったって。。。」とたじろぐのであれば、是非、過去問を手にされて下さい。進学させたい学校の入試問題をご覧になって下さい。その問題を、我が子は制限時間内にどのくらい正解できるのか、冷静に判断されてください。さらに、受験制度を考え、競争倍率などのデータを見てください。例えば実質競争倍率4倍で、我が子は勝ち抜ける要素をどのくらい持っているか、冷静に判断してください。
「別に進学させたい学校は無い。本人が行きたいという学校に行かせたい。」何をおっしゃいますか!情報通の子どもなら結構ですよ。でも、当地で、将来を見据えた、たくましい生徒を見たことがありません。海外では退行現象が起きるとお聞きになったことはありませんか?加えて受験・進学という外的刺激から隔離されている環境です。本人に行きたい学校を作れといったって、簡単に出てくるはず無いでしょう。そんな非現実的な話では、後々苦労されること間違いないのです。(そういう家庭を多く見てきました)
「塾の宿題は多いわね。これはやらなくて良いわよ。」そんなことをおっしゃるご家庭もあるとか。どうして?現地校のことは貴重な体験で、だから必死にやる価値があるとおっしゃるのですか?日本の勉強は適当で良いんですか?それでどういう結果になっていますか?できない生徒を作り出しているじゃないですか。妥協してしまう生徒。諦める生徒。基本問題しか手を付けようとしない生徒。そういう生徒を作り出している一番の原因は、間違った優先順位。それを身につけさせた大人の責任です。
成績向上に対して消極的な生徒の多くは偏差値30台で止まっているんです。「とりあえず補習校にいっていたから、大丈夫です」「とりあえず通信教育をやっていたから大丈夫です」「とりあえず公文でもう○年生の分までやっていたから大丈夫です」そんな言い方をするご家庭に対しては、私たちは警戒態勢をとります。こうした家庭の生徒の多くが、入塾試験をすると偏差値30台です。偏差値30台というのは、公立底辺校を受験する学力層です。その数字を真摯に受け止めていただけるご家庭は良いのですが、多くのご家庭は「一度きりの試験結果だけでは何とも言えないだろう」と逃げるのです。そしてそのまま放置されて、ご帰国されているようです。ご帰国後の子どもたちの悲痛な叫び声が聞こえます。
我が子をそんな状況にまで追い込んでしまったのは、他でもない、現実逃避をさせていたアナタですよ。渡米前から、きちんとした情報を収集しておけば、ここまでにはならなかったでしょうね。
帰国間際になって「じゃ、塾にでも通わすか」なーんておっしゃるもんだから、私たちも困ってしまうんです。そんな生徒たちは本当にかわいそうです。犠牲者。そう呼んでいます。ごめんね。君たちは本当は悪くないんだよ。でも、塾もスーパーマンじゃないからね。できないことはできないんだよ。ごめんね。
■警告・歪んだ世界に入ってしまった■
今の日本の社会では、それが良いことか悪いことかは別として、親には見せない顔を塾講師には見せるということがあります。塾は受験という目標を共有し、その縦軸だけで成立している世界。だから、師弟関係が作りやすいという理由から、というのが一つの理由らしいです。
海外だと親子の関係が密になります。なにせ日頃の行動はお母さんの車に頼らざるを得ませんからね。友達と遊ぶといっても限界がある。さらに兄弟との関係も日本の比ではなく仲良しこよし。良いことです。親子関係や教師との関係が薄くなってしまっている昨今の日本から比べると、本当に幸せなことですね。
このため、世の中で一番怖いのは「お父さん・お母さん」ということになりがちです。いいですねえ。一昔前の日本のようです。それ自体はとてもとても良いのですが、歪んだ世界を広げてしまう生徒もいます。
例えばテストなどはカンニングし放題。宿題の答え合わせもズルしまくり。赤ペンと鉛筆・消しゴムを上手に使って、さも正解してきたかのようにする。究極は宿題忘れなのに、答え合わせをしながら、やってきたかのように作り上げてしまう速記の達人。まあ、実際は我々も相当の生徒を見てきていますし、教室も小さいですから、殆どバレています。それでも彼らはやめられない。バレたと分かってもカンニングをやめられない。
犯人のほとんどが、口をそろえて言い訳します。「親にバレるのが怖かった。」と。なんでここまで追い込まれてしまったのでしょうね。是非、家族で考えて欲しいです。
■警告・勝手な判断では自滅します■
保護者: 塾でやっていることはずいぶんムズカシイらしいですぅ。
塾講師: はあ。そうですか。そうでもないんですけど。これが進学最低ラインですから。
保護者: うちの子には全然無理だと思います。やっても無駄ですね。(キッパリ)
塾講師: じゃあ、どうなさるのですか?(これ以下だと進学に必要な力は身に付かないのですが。。。)
保護者: もっと基本からやらないとだめなんですわ。(当然でしょっていう顔)
塾講師: はあ。(試験も受けていないのに何故言い切れるんだろう?)ご帰国のご予定は?
保護者: いまから3ケ月後です。(ルンルン♪)
塾講師: はあ。でも、受験生ですよね。(汗。。。)
保護者: ええ。頑張れば、大丈夫でしょう?間に合いますよねぇ?(笑顔♪♪)
塾講師: 。。。。。例えば「○○というテキストをやっておけば△△校へは合格できますか?」とか「海外からでも一般受験で合格できますか?」「半年間の受験準備でも間に合いますか」というご質問をいただくことがあります。受験に絶対はありません。決めつけることは、本当はできません。でも、我々も何百人という生徒・家庭の受験を見てきたわけで、統計的にお話することはできます。
常識的に考えて「○○という参考書だけをやっておけば大丈夫」ということはありえません。教科書をやっておけば大丈夫と私立校の先生がおっしゃるときもありますが、そういう学校に限って、実は教科書を使わない進学校だったり、入試問題が相当凝ったものだったりすることがあります。思考訓練がきちんとできており、精神的に大人であり、さらに計算や漢字などの基本的作業が習慣的にこなされている生徒であれば、もしかすると「ある参考書をこなすだけ」で突破できる学校が「あるかも」知れません。
また、一般受験をする場合、その学校の「ハードルが低ければ」4教科の準備であっても、実質適当(適度)でよいわけですから、なんとか入れてしまうということがあるかも知れません。しかし有名校であれば、しかもあえて帰国枠など用意していない学校であれば、当然そのハードルは高く、海外からの合格は望み薄です。現地校のことなどさておき、日本の受験勉強を、それこそ1分1秒でも多くしていくことができるのならば、しかも、相当集中力の高い子どもであれば可能かも知れません。要領が良く、覚えろといったことはすぐに覚えてしまうような生徒であれば、可能かも知れません。現実的には、そのような生徒は希です。しかもそれらを数ヶ月などという限られた時間内で完成させるには、強靱な精神力・体力が必要となります。現代っ子においては過酷ではないでしょうか?いや、我が子には可能だとおっしゃるのであれば、即実践してみてください。そういった生徒・ご家庭には塾など不要です。自宅学習だけで入試を突破する生徒は日本に沢山います。でも現実的に、私の経験でも一般受験で海外から有名難関校を突破するには、相当の力が要るのは明白ですから、その数はごくわずか。かつてDC校から桜蔭に合格者を出したときなど、彼女は「海外から直接受験して合格するなんて凄過ぎる」とインタビュー責めにあったそうです。(ちょっとオーバーか。ごめんよ、本人!でも、そのくらい大変だということ。詳細は掲示板経由で本人に聞いてください。)
親ができたことならば必ずや我が子にもできるはずだ、などと思わないでください。子どもには子どもの限界点が存在します。保護者の経験・感覚だけで今の受験を語るのは危険です。このことは、最早常識です。。。よね???
■警告・怠惰な進路設計■
当地において、底辺校に行かせたいとおっしゃるご家庭を聞いたことはありません。どのご家庭でも「こんな学校はイヤ。こんな学校なら公立の方がマシ。」と線引きをハッキリされています。それだけハッキリされているのであれば、何故、お子さんの現状認識をされないのでしょうか?線を引かれた学校と、それを目指す日本の生徒たちと、今のお子さんを見比べれば、自ずと答えは出てくるはずなのに。
そうした成績把握・現状分析・情報収集といった行動を起こさず、こちらが何か突っ込むと「いえいえ。本人がそうしたいといっていますの。だから我が家としては、本人の希望を第一と考えていますから。。。」と逃げる。何をおっしゃいますか。海外に生活することが大変だということは、大人でも感じることでしょう?ましてや日本の情報・経験から遮断されてしまった子どもたちに、判断基準などあるはず無いじゃないですか。
要するに、大人の責任逃れです。怠惰です。子どもを連れてきた責任をきちんと果たしてください。大人の見栄を、子どもにかぶせすぎないでください。犠牲者を見るのはもう沢山です。
■警告・我感せずのご家庭もいらっしゃる■
「そう煽らないでくださいよ。我が家は東京には帰りませんから大丈夫ですよ。わっはっは。」
前々からお話ししているように、実際は地方にご帰国されるご家庭の方が、もっともっと大変なんです。バックナンバーはご覧になりましたか?WEBで見ることができますから、是非、お読みください。地方にお帰りになる方が、首都圏にお帰りになるよりよっぽど厳しいということがまとめられています。ちょっとだけご紹介しておきましょう。地方の場合、私立中学進学は一般的ではないことが多く、公立中学から公立高校へというのが大半のパターン。そして公立高校入試はたいてい5教科入試。しかも理科や社会は癖があって、過去問研究をしっかりしておかないと得点が取りにくい。さらに地域の中で、いわゆるTOP校に進学しなければ意味が無いという事態が起きています。もともと学校数は少ないし、生徒数も限られているわけですから、アノ学校に行けば将来安泰でコッチの学校に行ったら将来は。。。ということが普通におこっています。その歴史をずうっと繰り返しているわけです。
では、我が子は、このレールの上の、どのあたりを歩いているのでしょうか?「いやいや。だから日本に帰るときに軟着陸できるようにと、今は日本の勉強も。。。」そうおっしゃるご家庭は沢山あります。しかし、軟着陸って、どの程度の着陸を指すのでしょうか?TOP校を目指せるレベルの話ですか?それとも、コッチの学校に進学してもいいか、というレベルですか?実はそこまで調べていらっしゃらないでしょう?それでは子どもがかわいそうです。「ねえ、お父さん。私は、何をどこまで勉強したらいいの?偏差値いくつ取ったら一安心できるの?このままで日本に帰って無事進学できるの?」 それらに対して答えられますか?
■警告・子どもたちに大人の背中を見せましょうよ■
最近の子どもは!というと年寄り臭くてイヤですが、ちょっと気になることがあります。例えば「ノート」。
字が綺麗とか汚いということは、昔からありました。そうではなく、ページが切り取られていくのです。前のページが存在しないのです。先週書いたページが切り取られているのです。切ってしまったページは何処へいってしまうのでしょう?きちんとファイルされている様子もありません。どうやらゴミ箱直行のようです。
さらにノートを「机の上に広げる」ということができない生徒も増えてきました。膝の上でノートをとるのです。机と椅子のバランスが悪いのかしら?とも思いました。でも、そうではない。学年に関係なく、身長・座高に関係なくみられるのです。「なんで?」と聞くと、どうやら「先生にノートを見られるのが嫌なんだ」ということらしいのです。でも、さらに突っ込むと実は『ノートを取る行為自体が面倒・宿題も忘れているからバレたくない』ということらしいです。だからノートをとっているフリをして隠すということらしいです。
当然こうしたことは、成績に大きく関与しています。はっきり言って、こうしたノートの取り方しかできない生徒の成績はたいてい芳しくありません。勉強に対する姿勢、とまではいいませんが、そうしたものが崩れている証拠なのではないでしょうか。昔は、こうしたことは学校や家庭で軌道修正していたものでした。そして5年生ぐらいになると試行錯誤しながら自分流の勉強方法を確立していったものでした。今、学校でノートを集めることなど珍しい。家庭でノートの使い方を「これ!」と明言することも珍しい。子どもたちは勝手に暴走しはじめているわけです。誰も止めてくれなから、これでいいんじゃないかと思って走り続けてしまうのです。良いはずありません。
誰かが自信を持って「それは間違っている」と教えるべきではないでしょうか。
■警告・入試は結果主義ですから■
元気がよいことは良いことです。「うちの子、元気だけが取り柄で」素晴らしいじゃないですか。親として、子どもが元気に走り回って、沢山食べて、沢山寝てくれることは、この上ないシアワセです。しかし、受験屋としては「ちょっと待った」ということもあります。
元気がいいことと粗野なことは違います。粗野な場合、その言動が入試に影響することもあります。お子さんの行動を思い出してみてください。泥だらけの靴で他人の家にあがりますか?人から物を借りても、返さない。それで平気な子どもですか?挨拶できない子どもですか?目上の人間に対しての言葉遣いができていないですか?こうしたことは、間接的ですが、面接試験でチェックされる項目です。先月、先々月の読み物を今一度お読みください。それらが入試にどう反映するか、具体例で紹介されています。
さらに、だらしのない子どもは、それが成績にも現れています。例えば数学です。学年があがるにつれ、緻密な思考を必要とすることになるわけです。そうなると、日頃の思考訓練がきちんとしているかということが攻略のための大きな要素となるわけです。子どものノートを見てください。緻密な思考がされていると判断できますか?伸びる生徒は、思考の足跡をきちんと残しています。そして、それらが実は整理されています。だから本人が読み返すことで、落としてしまった知識を拾い直すことができ、そこから数段上の作業に取りかかることができます。思考訓練をしていない子どもは、ノートは単なる計算用紙であったり、メモ用紙であったりします。それでもテストの得点は良いという生徒もいます。本番に強い生徒。それはそれでいい。そうではなく、同じミスを何回も繰り返す生徒や勉強時間はたっぷりだけど何一つ身に付いていない生徒が問題です。
それでも尚、「元気だけで良い」と割り切れますか?進学に支障が出るかも知れないというのに???
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