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2006年6月号 「保護者面談の声から」その1・子どもの限界とは?

■はじめに■  

 enaワシントンDC校では、毎年5月ごろに「保護者面談週間」を設けています。年に2回しか面談をしない、ということではありません。「私たちから面談のお誘いをする」という面談が年に2回であり、例えば突然のご帰国・成績についてのご相談などということに対しては、随時対応させて頂いております。塾として、当然のことです。

 さて、なぜ5月に実施しているかというとについて。2月に新学期が始まり、すでに4月には第1回クラス再編成試験も経験し、子ども達の成績がハッキリしてきた時期だと思われるからなのです。頑張る子は頑張り始めているし、だれる子はだれ始めている。この時期、夏に向けての勉強方法を確認し、軌道修正をしていく必要があります。闇雲に勉強させるのではなく、中期&長期の計画をきちんと立てた勉強をして欲しいからです。成績が伸びるための勉強方法を考えさせたいからです。(このことは重要です。最後までお読みいただければ、その意味がお分かりいただけます。)

 さらに、9月は夏の成果が見え始める時期です。夏期講習成果判定試験は、頑張った「努力度」をみるための試験。カリキュラムテストの簡易版です。これに対して、とくに受験生はいよいよ「範囲の無くなった実力試験・合否判定試験」が始まるわけです。これには心構えが必要です。準備方法も今までとは違うでしょう他の受験生との駆け引きもあります。非受験学年の生徒であっても、次学年準備・受験体制を意識する時期でもあります。各学年の「本当の要」といわれる単元は秋以降が多く、そこに向けての勉強をして欲しいのです。これらをふまえて、現状把握・今後の勉強方法を考えて頂く機会として、面談をさせて頂いているわけです。(受験生の進路相談は、10月を中心に実施。9月の試験結果が出てから。また、受験生の面談は何度でも行っております。)毎年秋に恒例の「海外教育講演会」を行うのも、同じ理由です。この時期、勉強方法についてしっかり考えて欲しいからです。

 さて、今年の春の面談も無事終了します。今回の面談で感じたこと、面難の時期に考えたことなどを、まとめていこうと思っています。我が家にも当てはまることがあるかも知れません。正反対のことがあるかも知れません。矛盾することもあるかも知れません。それぞれのご家庭で、気になることはあると思います。我が家の受験・進学というものがあるはずですから、違って当然です。問題に対する解決方法は異なって当然です。なにもかも、全てがまるきり同じと言うことはあり得ません。それでも、こうした情報がきっかけとなって、各ご家庭の問題が解決の方向へ動きはじめていただけたら、嬉しく思います。

 それでは早速。。。  

■子どもの限界点とは何でしょう?!■

 面談で良く話題になることの一つに、子どもの限界点について、ということがあります。何処までやらせるべきなのか。日本の受験生と同じようにやらせなきゃ、というご家庭。現地校とのやりくりで大変そうだから、この辺りでセーブさせておかなきゃというご家庭。かつては「この程度じゃ、日本の受験生に負けますよね」と日本に対しての意識が強かったご家庭がほとんどでしたが、最近は「うちの子どもの限界点は低いから、帰国枠でオイシイ受験をさせて、それで十分」とおっしゃるご家庭も増えてきたような気がします。

 ここで、子どもの限界点ってなんだろうか、と考えてしまいます。限界点?これ以上無理だという飽和限界点?やらせすぎ?その線について、なにを、どう考えるべきなのだろうか、と。

 日本のニュースを見ていると、最近は子どもの事件が目立ちます。ある時は被害者となり、ある時は加害者となっています。例えば両親殺害事件。金属バット事件と言われる事件が昔ありました。昨年で言うと大阪で起きた「中1の子供が母親を殴打死させる」という事件です。

 その事件を調べてみると事件翌日のニュースに、「午前零時20分頃、居間で母親から『勉強しろ』『やる気がないなら出て行け』などと言われ逆上。首や腹を数回こぶしで殴り、死なせたとされる。本人は『殺すつもりはなかった』と話している」とありました。

 事件後の教育コラムなどでは「普段から勉強熱心なお母さん」だったともありました。海外では教育に熱心なお父さん・お母さんが沢山おられます。enaワシントンDC校の保護者の方々は、ほとんど全員の方が「とても教育熱心なご両親」だと思います。私が日本のニュースを目にしたときに感じたのは、「海外の保護者の方は、こういったニュースをどうお感じになっているのだろうか」ということでした。もしかしたら、『親が熱心に子供に勉強させる弊害が出たんだ』と思われた方もいらっしゃるのではないでしょうか?もしかすると、動揺された方もいるのではないでしょうか。事実、面談などを通じて本音を吐露されるご家庭もあります。成績のことで悩まれているご家庭から「あまり厳しくすると自殺でもされたら」とおっしゃるご家庭も、事実ありました。

 さて、この事件を子どもの限界点を考える出発点としてみましょう。まず、この事件そのものを考えてみます。過去の事件の多くは、「成績不振の子どもが逆ギレ」というのが、典型的なパターンでした。これに対して、近年の事件の多くは違います。事件を起こした子供は、学校での成績は優秀でした。スポーツも万能だったと報じているニュースもありました。

 今回の事件に限らず、子どもの事件が起きる場合は、さまざまな要因が複合的に絡み合っているものです。誰かれが悪いと決めつけられる事件は、まずありません。しかもアレルギー反応のように、ある一定の時間を経過したところで、蓄積されたものが突沸するのが一般的といわれます。それを理解した上で、マスコミが取り上げた『原因』は、次の二つに集約できるようです。

 『すでに成績だって良いのに、期待し過ぎだったのではないか?』

 『なぜ、子供からのSOS信号に気づかなかったのか?』

 聞けば、うんうんとうっかりうなづいてしまうようなコメントです。しかし私たちは、全く思いません。寧ろ、この2つのコメントに不快感があります。それは、先に述べた「原因が単体で存在すると考えるべきではない」ということが1つ目。そして、「普段から子供の勉強と、間近で真剣に向き合っている人のコメントとは思えない」というものが2つ目です。こうした事件を「最近はキレやすい子が多いよね」とか「親が怠慢なんじゃないのぉ」と流してしまうコメンテーターには怒り心頭を通り越します。そんなに単純なものではないでしょう?

 コメント自体を考えてみましょう。『すでに成績だって良いのに、期待し過ぎだったのではないか?』の発言のニュアンスは、「子供だって十分頑張っていたわけだし、成績も良かったのだから、親もある程度のところで満足しておくべきだった。それなのに無理をさせてしまった。このために子供が変になってしまったのだ」と言われているように聞こえました。果たしてこの問題は、そういう問題なのでしょうか?「期待しすぎだった」「SOSに気づかなかった」というのは、平たく言えば、『子供の限界点を、ちゃあんと見極めろ!』ということでしょう?では、この「限界点の見極め」については、どうなのでしょうか。どうなったら限界点なのでしょうか?限界点を越したときの症状は、こうしてキレるものしか内のでしょうか?限界点を見極める修行を、親はいつしたら良いのでしょう?どのコメンテーターも社説にも、ありません。あってもきれい事だけ。机上の空論だけ。そもそも、親にとってこの「見極め」が的確にできないと『いけないもの』なのでしょうか?

 私たちは、「これが限界」と線を引く必要さえ感じません。子供は時として、大人の想像をはるかに超える力を発揮することがあります。大人から見ると「過労死しちゃうんじゃないのか?」と思うこともやりこなしてしまうこともあります。平気な顔をすることもあります。お子さんの1週間のスケジュールを思い出してください。日本の小学生・中学生も忙しいですが、海外の子ども達も相当に忙しい毎日を送っているはずです。私の教え子で、小5の時に平均睡眠時間が4時間という生徒がいました。お稽古ごとに現地校のプロジェクト、コンテストに塾の宿題。塾に来るときは「眠いよぉー」といいながらも、いざ授業となると目を輝かせていた彼女。(ちなみにその後、某女子御三家中の一つに進学しました)彼女のような過密スケジュールでも、それでも、こなせてしまうのです。子どもの持つ、興味から生まれる体力とでもいいましょうか、気力が体力を底上げしてしまう例の一つでした。これは極端な例だとしても、体力的にも能力的にも、それが子どもに無理な事かどうか見極めることは、普段から子供にかかわっている人間でないと、見過ごすことです。ましてや、この力を目の当たりにした親にとって、「子供の能力に限界がある」などと信じることはできないわけです。『すごい!ここまでやらせても、ウチの子は出来ちゃんだ!!』と思っているお父さん・お母さんが、限界点を越したからといって「この辺で止めさせなきゃ」と停止装置を働かせられるのでしょうか?

 これまで多くの子供たちの勉強を直接指導してきた専門家ならともかく、親は一生で数人の子供しか育てません。そんな親にとって、「子供の限界を見極めろ」などという発想自体が無理な話だと、私たちは思います。つまり、ふんぞり返っているコメンテイターが言う『子供の限界をちゃんと見極めろ!』などということは、「結果論」に過ぎないということです。机上の空論が何をいうか!です。

 しかし親としては「子どもが可愛そうだ」といわれてしまうと「そんなものかなあ」と躊躇してしまうのも事実です。今回、この生々しい事件をあえて取り上げた理由の一つでもあります。コメントを聞いて動揺する。事件が起こるたびに、家庭の方針が変わる。あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。これでは、子ども達の持つ勉強に関する問題は、何も解決はしないし、対策にもなりません。事実、今回の面談でも数件のご家庭では、「迷い」が見られました。私たちは昔からお話ししているように「過保護なら過保護でいい。スパルタなら、それでもいい。大事なことは、一貫すること。」が、最も大切なことだと考えています。

 もう一つの側面を考えてみましょう。SOS信号についてです。確かに、今回の事件の場合には、子供からの信号があったようです。それに気づくべきだったと、私たちも思います。今回の事件では、「信号」が「親に対する暴力」という形で出ていたと報じられていました。でも、ご自分に置き換えて考えてみてください。暴力まではいかないけれど、子供が親に反発することはあります。学年が上がって、中学生ともなれば、反抗だって激しくなって当然です。寧ろ、精神成長面から考えれば、しごく当然の事とも言えます。日本国内であれば、早熟の場合、小学生であっても激しく反抗する子だっています。単なる『甘え』や勉強をしたくない『現実逃避』からくる反抗だったりすることも多々あります。海外にいる子ども達の場合、まずは「退行現象」が見られる子どもも多いため、反抗とは無縁のご家庭もあります。だからこそ、ちょっとの反抗があったときには家庭全体がパニックになることがあります。次に現地校が忙しいという隠れ蓑を使って「現実逃避」する生徒も多く見られます。これらに付いては、これまでのバックナンバーでお話ししてきました。彼らの甘えが原因の一つだけれども、犠牲者の一人であるとも言える。そうお話ししてきました。

 ここで考え直してみましょう。こうした「甘え」「現実逃避」などというものは、決してSOS信号では無いということです。SOSでは無いのですから、本来周りの大人は厳しく対応することが必要になります。そこで手を抜いてしまうと数年後に大変な事態に陥ります。この例についても幼児教育について考えたバックナンバーでまとめてあります。では、いったい、親はどこで「甘えかSOSか」などを判断すれば良いのか。

 現実に、親が子供からのSOS信号だと『勘違い』して、子供を甘やかし、逃げ道を作って、全然勉強しなくなったなどという話は、保護者面談をするとバーゲンセールができるくらい多い話なのです。線を引くことは、何よりも一番難しい。テレビでふんぞり返って尤もらしいことを話している人間を見ていますと、不思議なことに「うちの子は、ヤバイ!」という線(警告)はどうやって探知するのかについて、誰もコメントしていません。『子供の限界を見極めろ!』というのは、理論上では、勉強の常識かもしれません。でも、無理だと思います。最初から「子供の限界」など考える必要などありえないと考えます。それよりは冷静な判断を第三者に任せ、親は子どもの持つ「無限の力」を信じるべきではないでしょうか?我が子の力は無限だと心から信じることが出来るのは、親の他には誰もいません。

 だからこそ、みなさんに言いたいこと。それは、子どもが「無限に伸びる方法」を見つけて欲しい!です。子供が今の状況で、「永続的」に成績を上げることができるのか?常にそう問いかけて下さい。

 単なる甘えによる反抗をそのままにしておけば、成績など上がるはずがありません。そんなときは、「甘え」に対して厳しく接する必要もありますし、更に負荷をかける必要だってあります。でも、親への暴力や暴言へと発展している状態では、親がいくら勉強にかかわっても「永続的」な成績アップなど見込めません。暴力や暴言が静まるように、子供のご機嫌とって、「もうちょっとやらせよう!」なんてやっていると、「もう少し上げる」ことは可能かもしれませんが、「永続的」な成績アップは望めないことはわかるはずです。ここが問題です。「あとちょっと」なのか、「だいぶ」なのか。つまりこれも、ずっとお話ししている「客観的な子どもの学力を把握していることの必要性」です。また「はじめに志望校ありき」とお話ししてきたこと、つまり、モチベーションです。子ども達に「より具体的な目標」を与えることの重要性についてです。それらが絡み合い、さらに「永続的な勉強方法」を試行錯誤の上に見いだすことができなければ、「もうちょっと」という「だましだまし」も存在し得ないのです。

 事件が起こったご家庭でも、成績が上がり続けていたときの「子供の様子」と事件が起こった頃の様子を比べれば、明らかに違うはずです。日頃の成績管理もなく、先のことも一緒に見ておらずして「あとチョット」では、ダメなのです。もっともっと、無限に上がり続けることを狙うべきなのです。「ほら、今回は頑張ったから成績が伸びたね」。そして次には「さぼったから落ちちゃったじゃないの」ということの繰り返しは、戦略も戦術も練られていない証拠です。これまでお話ししてきたことを実践し、子ども達を主人公にしているご家庭は、見事に走られていらっしゃいます。

 親が考えなくてはならないのは、勉強に対する方法論。今やるべきことは、永続性について。無限に伸びる方法だろうか?それとも今回だけ分かってオシマイの方法なのだろうか?これらを突き詰めて考えてみてください。塾に通っていようが、家庭教師に見てもらっていようが、関係ありません。主人公は子ども達。そして脇役はご家庭。塾や家庭教師は大道具や小道具にすぎません。道具などに振り回されてはイケマセン。使われてはイケマセン。もっともっと、しっかり未来を見つめてください。これまた、いつもいつも、私たちがお話ししてきたことですね。

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