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2001年5月号 「今の勉強方法で大丈夫ですか?」
□ 帰国子女バブル崩壊
帰国子女入試が本格的に導入されてから、四半世紀が経ちました。70年代、海外にいるためハンデを負った子供に対する「救済措置」として始まり、一転して80年代には日本で得られない「国際人」としての資質を持った生徒故積極的に評価すべきだという声に変わりました。ところが90年代に入ると帰国子女に対する幻想が一枚一枚はがれ合格基準も年々高まりました。「日本国内の生徒とたいして変わらない」「いや、国内の生徒の方がマシだ」「海外体験?それがどうした」「日本の学校に進学するなら、日本の授業についていけるだけの学力を備えていなければ」と、現実を考えればそれ自体は決して間違っていない厳しい批判を浴びせられ、帰国子女バブルは「はじけて」しまったのです。大学入試では、例えば慶應医学部は2年連続で合格者無し、さらに文系までその余波は広がり東大文Uはそれまで5〜6人の合格者を出していたにもかかわらず今年の入試では、たったの1人の合格者しか出していません。高校入試ではもともと優遇措置が薄く実力勝負の世界。さらに中学入試の例えば慶應湘南藤沢中などは明らかに「学力重視」に切り替えてきています。もはや「現地校の勉強を一生懸命にやる」「海外での貴重な体験を大切にする」ことだけでは、いわゆる有名校・難関校などの突破は難しいといえます。
□ 今後の帰国子女枠入試
結論からいえば「学校が帰国子女に期待するものと、帰国子女の実態とのギャップが益々広がっていく」と考えられています。学校が期待するものは「進学するにあたっての明確な動機と問題意識」「バイリンガル論述能力」「異文化体験を経て得たはずの国際感覚」の3点であろうと思われます。面接の重視は慶應義塾高でも数年前からみられます。私立難関校で内申書をみるということは過去考えられませんでした。高校入試の作文も帰国生に関しては高度な内容を要求してきています。学芸付属高などでは「情報発展社会は異常発達してしまい、ショッキングな事件であっても半年後には社会から忘れられている。我々は情報の速射砲に不適応を表しているのではないか。自由な意見を書け。」等が出題され、問題意識を持っているかをチェックされています。「海外で苦労したことは何ですか」程度の作文を要求するのであれば何とでも書けるでしょう。しかし、こうしたか題に関しては知識のインプットとアウトプットの仕方を訓練していない生徒には「全く書けない」という事態が起こっているのです。現地校生徒に人気のICU高でも同じです。現地校に追われていてそれが出来ていない生徒が増加している。この現実と学校の要求するギャップ。そうなると今後は自覚的かつ継続的な準備をするものが陽の目を見る、健全な競争原理が機能する受験になっていくと考えられているのです。
□ 読解力の低下
言語運用能力は「書く力→読む力→話す力→聞く力」という順序で落ちて行くそうです。書く力に問題が生じたときは黄色信号。読む力に問題が出てきたら赤信号が点滅し始めた状態といわれます。「現地校の勉強が忙しいのに、そこまでは無理だ」とお考えになるご家庭も多いかもしれません。では英語でどのくらい苦労したかを考えて下さい。同じことが日本語力を取り戻すために繰り返されます。しかも日本語読解力は国語だけではなく、他の教科にも影響しています。現地校の生徒であっても日本の英語のテストの得点が思うように伸びないのは国語の力が影響しているからです。事実、国語の力がある生徒は少しの工夫で英語はトップの成績を取っています。大学入試であっても中学入試であっても、学校側が要求するのは日本語と英語との互換能力の「バイリンガル」であって英語だけの「モノリンガル」ではないのです。昨年NYから赴任してきた私が感じた一番大きな問題は、この地域の子供達の日本語読解力の低さです。計算は出来ても読解問題は出来ない。漢字はたくさん練習するが、説明文は苦手。そんな生徒が多すぎるような気がします。
□ 帰国するのであれば
受験をする・しないに関わらず、日本の学校に進学していくことを前提にすれば読解力に不安がある状態で課題がどこまでこなせるのか。帰国後、帰国子女だけのクラスであるならまだしも、一般の生徒との混合クラスで、どれだけのハンデを背負うことになるのか。このあたりのシュミレーションが生徒自身も保護者の方も先送りにしているような気がします。「そんなことを言っても、現地校の成績を取らなければ話にならないじゃないか」。現地校の勉強は手を抜けと言っていません。もう少し日本の勉強を重視して欲しいと申し上げているのです。中学入試で現地校の成績を合格基準にする学校はありません。高校入試でも重視するのは全体の2割程度です。現地校の成績が大きく影響するのは大学入試です。大学入試を控えた生徒であればアメリカの大学への進学も選択肢の中に入っているでしょう。現地校の成績如何によってアメリカの大学を滑り止めとして確保することもできるでしょう。問題は中学や高校への進学を控えた子供達です。帰国するのであれば、相対的な学力を常に把握しておくことが必要です。
□ 帰国直前に塾に来ても
帰国まで後半年。そろそろ帰国後を考えて塾にでも行かせるか。昨年問い合わせのお電話で、こうしたお考えのご家庭が7件もありました。在校生が少ないにも関わらず、5件のご家庭はお断りしました。現地校で英語の生活にどっぷり浸かっていた生活から、半年程度で日本の勉強のレールに乗せることは不可能です。事実、昨年編入希望で塾に来た生徒がいましたが、帰国子女研究校であるはずの学芸大泉中の編入に落ちてしまいました。こうしたケースは塾が定着しているNYやLAなどでは、もうみられないことです。ご家庭のニーズに応えるべく、成績向上を実現させるためには時間が必要です。しかも日米の勉強のとらえ方の違いなどをクリアーすることは子供達自身にとって容易なことではないのです。
□ 無理はさせたくないから
「現地校で毎日大変なのに、宿題も大変な塾になんて可哀想で」。これに対してDC校生徒のY君(現高校生)からこんな声を聞きました。「アメリカに来て、ESLもなく宿題も多い私立校に入れられ、いつ帰るか分からないからと塾の受験コースにも行かされ、当時は確かにきつかった。でも、それを乗り越えられたから今の自分があると思う」。彼の数学の成績は州内でもトップクラスです。「それは小6の時の受験勉強が役に立っただけ」彼は当然のように言いました。
「ゆとりの教育」が子供達に何を与えてくれたでしょう。言うまでもなく、学力低下だけです。もともと子供には無限の可能性があるはずです。高すぎない壁を作ってあげることで、よじ登る力は育てられたはずです。それを低くしすぎて、気がついたときには大学生になっても分数の計算が出来ないとなることが、本当に子供のことを考えてのことなのでしょうか。私学がそうであるように、私たちは2002年問題に対しても「勉強内容の削減」はしません。私たちは受験で燃え尽きてしまうような子供を育てたくありません。進学していくときに、自分の力で切り開いていける生徒を育てたいと考えています。
□ 現実に目を向けて
「塾が煽っているだけではないか」とおっしゃるのであれば、以下の項目をお考え下さい。
☆中学入試
有名校や難関校の難易度は変わっていない・英語は日本の英語の力を要求している・現地校の成績は入試に大きく影響していない・学力重視の学校が増えている・入りやすくなったのは偏差値で50未満のいわゆる中堅の学校
☆高校入試
帰国生を別枠で募集する学校は少ない・学力試験重視の高校が8割・作文の要求レベルが高くなっている・依然人気の偏りがある・英語は生活英語の力ではない
☆大学入試
小論文試験が国語化し、知識を要求してきた・大学への進学を希望する者にふさわしい教養を要求している・日本語と英語の互換性を問われている・学部研究しておかなければ面接や小論文で辛い
☆中学や高校への編入
センター校や救済校は減っている・全ての学校で募集するわけではない・毎年募集するとは限らない・面接試験だけの学校もあるが、数は少ない・学力試験での選抜とは限らないので合格が予測しにくい・学年を落とす方法もあるが、実際通う本人にとってみれば辛いものでもある
こうしたことは、日々の生活に追われていると目をつむってしまいがちです。しかし、分かっている現実でもあるのです。たしかに現地校の生活で余裕は全くないというのであれば考え物です。しかし、時間は作るものです。しかも若い頭と体は大人が想像できないほどの適応力をも備えています。意図せずして、そうした芽をつみ取らないで下さい。日本への進学をお考えになっているのであれば、模擬試験などで相対的な学力を把握しておき、情報を常に把握しておくこと。目標にあった準備を着実に始めること。結局そうしたことが不安を取り除くための第一歩です。
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