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2008年11月号 「親の意識が高いと見えなくなるもの」

 

■追い込まれる子供■

 「先に勉強すると新鮮さを失ってしまう!?」というお題を取り上げたことがあります。何年も先のことを勉強する「先取り学習」は、いかなる姿勢で臨むべきか?ということを書きました。弊害もある。メリットもある。それらを踏まえ、そして「子供の状態」を見極めながら使いこなしてください、というものでした。進学塾は先取りが前提条件にある。当然否定することはありません。できることがあるのに、それを止めてしまうことほど、子供の「学習意欲」をそぐものはありません。ただ、ただ、親が先走りをして、子供が消化不良で倒れることがないように、監視体制を強化すべきとまとめました。それに変わりはありません。

 まさに「今」、いろいろ試行錯誤されているご家庭も多いかと思います。現地校が始まった。学年が変わって、宿題なども扱い方が変わった。厳しい担任になった。更にいうと、秋からの『日本の勉強』だって、変化している。どの学年の、どの科目だって、応用レベルに入ってきている。ここまで歩いてきたのだから、振り返るべき単元も増えてしまった。しかも新しい「応用単元」もある。テストは実力試験になっている。先取りした足を休めるべきか、それとも折角ここまで来たから、走り続けるのか。負担は、子供にかかります。

 そんな中、壁に当たり始めている子供が見え始めています。「子供の、勉強に対する『負の意識』」が強くなる時期ということです。これは親が、勉強に対しての高い意識を持てば持つほど起こりうる問題とも言えます。今月は、これを分析してみようと思います。主軸になっているのは、これまでお話ししてきた「親は勉強を教えない」「子供の目線で考える」というのがテーマになっています。  

■自己満足では済まされない■

 悪戦苦闘。現地校との両立。海外にいての受験準備。四苦八苦すること自体は良いのです。ただし、『それで成果が上がるならば』という「但し書き」がつきます。悪戦苦闘して成果はなく、しかも親子関係が悪くなったとなれば、『やらなければ良かった!』となってしまいます。海外生活で、多くのご家庭では家族愛が深められているというのに、我が家だけ。。。。なんてことになってしまったら家族のみんなが不幸です。

 そういう意味において、悩まれているご家庭は『分岐点』に来ていると思うのです。その分岐点をどう考えるか?その解決方法の一つが、例えば「塾に通う」であろうし、「親子で勉強する」「問題集を買う」「家庭教師をつける」はたまた、「進学設計を変える」であるとも思います。うまくいく方法があるなら、何でも結構。兎に角、大事なことは「自己満足で終わらず、客観的なもので学力が向上し続けていることを確認する」ということが大事です。このことも、ずっとお話ししてきました。どんなに楽しい方法であっても成績が下がっている方法なら、やらない方が良い。塾が万人にあうとは言わないし、補習校で十分成績向上する子供もいるわけです。受験が全てではないし、そうなると進学設計は変わって当然。中学受験を諦めるかわりに、高校受験に備えるとか。

 それを判断する基準として、例えば、今、手応えというか、確信というか、「おおぉ!」という感触はありますか?勉強をやっていて、やらせていて、子供も親も、「おおぉ!」という感触がありますか?模擬試験を受けて、個人成績表が返ってきて、親子で「おおぉ!」と喜べていますか?悩まれているご家庭は、そこで「おおぉ!」といったものが無いはずです。悪戦苦闘して、努力して。でもその「努力」ということは、自己満足で終わってしまったということ。成果には結びついていません。大袈裟に言うと「その程度のこと、他の人は難なくクリアした」ということ。「海外で苦労したんだから」と涙ながらに語ったとしても、「そんなの、普通」と鼻で笑われてしまうことかもしれないということです。  

■無理・無駄・ムラ■

 海外に来てから、何年もお子さんのそばについてやってきた、というお父さん。現地校の勉強も、日本の勉強も、親子二人三脚でやってきた、というお母さん。学年が上がるに連れ、また海外生活になれてくれば来るほど、フラストレーションが溜まっていることがあります。一生懸命やってこられた場合は、それだけ相当なストレスが溜まることがあります。

 こんなことは、ありませんか?子供自身が選んでやり始めた問題は、なんなくクリア。ところが親が選んでやらせた問題は、ことごとくダメ。答え合わせをして間違いだと聞いたとたんに、「母ちゃんが選んだからだ!母ちゃんのせいで、できないんだ!」と、グズグズモードに突入。。。やり方なり解説をしようとすると「解説きらい」と切り返す。スネオモード全開。なんとか、なだめすかして、説明し。。。そんなことの繰り返し。子供が勉強しているのか、親が勉強しているのか分からなくなってる。そんなことは、ありませんか?  

■親と子供のすれ違い■

 私たちの基本姿勢として、お父さん先生・お母さん先生の存在は大きいと考えています。とはいえども、身内の限界はあるだろう、とも考えています。正直に言えば、親は司令塔・コーチングに徹し、「説明しない」というやり方がベストかなとも思います。(こと受験に関しては)お父さん先生・お母さん先生の、子供に対する進学への「入れ込み具合」が高ければ高いほど、子供が「で、答えは?」と「先生依存症」になりやすいという例もご紹介したことがあります。「入れ込む」とは、説明することに熱がこもって。。。という話です。優秀なお父様・お母様であればあるほど、「出来ない子供の視点」はご理解頂けない。「なんで、それが出来ないんだ?!」とおっしゃる。お父様・お母様の常識と子供達の常識が違うのは、考えてみれば当然のことですが、それさえご理解頂けていないこともあります。お父さん先生が「これだけやれば良い」とチョイスされた問題が、実はお子様には消化不良を起こす問題だったりすることもあります。親が我が子を見るときの苦しい一面であることは確かです。「親の幻想」「親の浪漫」が子供に映ってしまい、現実逃避しているのかも知れません。我が家の「ミニマムスタンダード」を決めるとき、子供を見ずに線を引いてしまうと、最後は苦しむ結果になるわけです。受験に失敗するだけではなく、子供らしさまで犠牲になってしまう。

 もちろん、近年の入試を研究し、次学年以降の問題の出方などを知った上で、今はこういうやり方でやるのが良いと研究しているなら良いのです。塾など出る幕などありません。どこまで「かみ砕いたら」、我が子に飲み込ませることが出来るのだろうかと悩んでいるご家庭であれば、教えても説明しても良いのです。

 でもたいていのご家庭ではうまくいきません。100歩譲って、皆さんの説明や解説がかなり「うまい!」としましょう。それがいつまで続けられるか、が問題なのです。そして、「うまい説明」ではダメだということに気が付きます。つまり、「もっとうまい説明」や「さらに優れた解説」を追求するのではなく、それなら、思い切って説明しないやり方で勉強を進める方がいいのでは?と思う時がきます。これが「指導者依存症」に陥らず、我が子に「自学・自習」を完成させる早道であるというわけです。

 授業中、汗だくになって機関銃のようにしゃべって解説する先生が居ます。その先生は頑張った!疲れた!大満足!こんな一生懸命な自分を褒めてやりたいと思われることでしょう。保護者にも「熱心な先生」とうつるかも知れません。しかし、授業を聞いていた生徒の成績が芳しくないのなら、落第先生です。計算された授業を展開する先生は、汗などかきません!しゃべるのは最低限。最低限だけしゃべって、あとは「お前はどう考える?」などと言って、子供が問題を見ている目線をじっと追う。頭を振り絞って考えて答えるのは生徒。生徒は頑張った!疲れた!こんな一生懸命な自分を褒めてやりたい!となります。もちろん、こういう流れが作れたら成績は上がります!授業時間中、ずっと考えさせられているんですから当然です。そういうことなんです。これまた常々いっていることですが、何よりも、「主人公は子供達」ということなのですね。

 説明しないというのは、一切言葉を言わないというよりも、補助する立場を確立するということなんです。もっと完璧な説明、もっとうまい説明を考えるより、どうやって子供の頭に収めていくかを考える。説明してウンウンわかったと子供が言って、喜んでいる。笑顔を見せた。そこで終わりにするから、ダメなのです。終わりにせずに、問題をやらせてみる。できるか?できない。なぜか?それは子供の頭の中にちゃんと収まっていないから。単にそれだけのことです。収めるというと難しげに聞こえると思いますが、言い換えれば、なぜそうなるかを子供自身の頭で考えさせ、子供自身の「手」を動かして問題を解いていないからです。計算するだけで終わっていませんか?練習もせず、理由も考えず、お母さん先生の言った答えだけを書き写していませんか?それがダメになる根元。塾のバッグを持つのも父親。鉛筆を削って、下敷きをはさむのも母親。そうやって勉強する環境を整えるのは良いです。(本当は情けない!と思う学年もあるけど。。。)でも、考える、という作業だけは、子供たち自身が行わなければ無意味なのです。

 「目」で追って、「手」を動かして、「口」で声に出して言って、その自分の声を「耳」で聴く。いわゆる五官をを使ってというやつです。大人が説明で一方的にしゃべるよりも、子供に発言させる方が、説明させるほうが良いのです。大人からの一方的な説明を聞くくらいなら、子供達が自分の手を動かして書いた方が良い。私たちはそう思っています。  

■明日に向かって走れ!■

 「あーーーん、わからない!!」となったときにすぐに説明しない!これがまず第一点です。ただ、ここまでやってきた「我が家のやり方」があります。突然今日から180度転回というわけにはいかないでしょう。飛び出すな、子供は急に止まれない。(笑)親が何かを変えても、子供はいつものパターンだと勝手に判断して「ワーーン」とわめいたり、泣いたりする可能性は『大』です。が、今までと変えるんだという気持ちでやってみてほしいと思います。いつものパターンに戻らないという固い決意です!

 ここで、もう1つだけ、お子さんを観察してください。『毎回同じような反応を示していないか』ということです。

 勉強や宿題に対して、恐怖感を持っている子供も居ます。特に低学年ではノートや解答用紙に赤いペンで「バツ」を付けられることに対し、嫌悪感を抱く子供が珍しくありません。だからこそ、「間違えてもいいんだよ、間違えたときにどうするかが大事なんだよ」と話していくべきです。そう話していっても、子供が反応せず、『バツは嫌!間違えることがキライ!怒られるから怖い!勉強が嫌い!嫌だ!』となる場合、どこかに「陥っている原因がある」と考えるべきです。それを解決しなければ、いつまでたっても脱出不可能です。

 更に言えば、教材選びについて、です。ハードルが高いものになっていないか。低すぎないか。などということを再度考えてみてほしいのです。私の経験でも、4年生なのに2年生の問題からやり直したこともあります。中2なのに5年生の問題からやり直したことがあります。それをやり遂げた生徒は、それを受け入れて、そして応援してくださったご家庭では、最終的に成功していきました。逆に、それを否定し「こんなもの、やってられない」と放り投げた生徒や、「うちの子は、ここまで下げなくても出来ます」と見栄を張ったご家庭は、ことごとく成績が下がっていき、時間切れになり、失敗しています。

 「勉強が嫌だ!やりたくない!」となっている子供にとって、下の学年の単元でも、深く考えさせる問題というのは、ハードルが高いのです。色々な角度から考えてみよう!というのは、どんなに学年の低い問題だったとしても、彼らにはハードルが高いと思うのです。「なんで、この答えになるんだろう?」と悩ませても良い。隣に座って、「これ、どうして5なの?」と聞いても良い。

 大事なのは、今の本人が理解できるレベルまで落として問題を解けるようにしておいてから、さらに上を目指すことです。スタートのレベルは低くても問題ないわけですからね。だから、選ぶ教材をもう一度吟味して、最終的にはレベルの高い問題集をできるようにするという目標の中で、改めて教材についてもう一度考えてみてもいいのではないかと思うのです。

 ただし。やはりここでも「但し書き」が存在します。もしそこに「受験」というタイムリミットが存在するならば、そこから逆算して始めていく必要があります。遅くなればそれだけ、壁は高く厚くなっていきます。それを乗り越える苦労は相当なものになっていきます。そのことから逃げてはいけません。誤魔化してはいけません。「まあ、なるようにしかならないし。。。」「そのときになって、余裕があったら。。。」などという、「怠慢」な態度をすれば、それは子供の可能性さえも潰してしまうことになります。これらのことは、ずっとお話ししてきましたね。私たちにとっては、今でも、これからも、このことは変わらないことです。

 いつものことになりますが、だからこそ、周りの大人は刹那主義に走ってはいけないのです。大人というのは、先人の務めというものは、明日に向かって「今日」を生きる子供達を育てる義務があるはずなのです。

 enaは海外で頑張る子供達を応援する塾で居続けます。

 

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